コラム孫右ヱ門

月別: 2015年7月

歳時記vol.2 「祇園さまのお献茶」と「祇園の御神水」


2015年7月15日

7月に入り、京都市中は祇園祭一色となっています。

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7月14日〜16日は、宵山(前祭)です。
宵山には、各山鉾町で山鉾を飾り、旧家や老舗では、代々伝わる屏風や道具が美しく飾られます。

市中は雑踏し、コンチキチンの祇園囃子の音色とともに祇園祭の情緒が盛り上がります。
明日16日は、いよいよ明後日に迫る山鉾巡行に向けて、祭りの熱気がピークに達します。

そんな16日宵山の朝、八坂神社では午前9時から本殿で「献茶祭」が行なわれます。

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「祇園さまのお献茶」とも呼ばれるこの献茶祭は、祇園祭の安全と茶道の発展を祈るため、昭和21年に始まりました。
以来、表千家、裏千家お家元が、毎年交互にご奉仕される恒例行事となっています。
今年は、裏千家家元 千 宗室宗匠のご奉仕です。
お家元、祇園祭の関係者、来賓が本殿に着座すると献茶祭が始まります。
献炭ののち、16日の早朝に境内の井戸から汲んだ「祇園の御神水」でお家元が濃茶、薄茶を点てられ神前に供えます。
お点前が終わると、能舞台で長刀鉾町衆による祇園囃子が奏でられます。

 

さて、この「祇園の御神水」(「八坂の神水」とも「力水」とも呼ばれている)ですが、八坂神社の境内にこのような湧水があることをご存知でしたか?

本殿正面に能舞台があり、その東側、大神宮の前の小さな苔生した手水処が「祇園の御神水」です。

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京の都は、北は玄武、南は朱雀、西は白虎、東は青龍に護られた地です。
八坂神社の本殿下には龍穴と呼ばれる深い池があり、都の東を守る「青龍」が住んでいると伝えられています。
青龍の住む龍穴から湧く霊水として、地元では「祇園の御神水」のことを「力水」とも呼んでいるそうです。

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「飲用水ではありません」と但し書きがありましたが、ペットボトルで御神水を汲みに来た方に伺ってみると、

「地元ですから、祇園さんの水は昔からよう飲んでます。」とのこと。

それを聞いて、編集担当も早速いただいてみました。
地下約90mから湧き出ているそうで、さすがに冷たい!
とても蒸し暑い日でしたので、冷たくてまろやかな御神水は、まさに力水だと感じました。
このお水をいただいてから、お隣の美御前社を詣でると美人になるといわれているそうです。
もちろん、お参りしましたよ。言い伝えが本当なら嬉しいのですが…。
明日の献茶祭は、茶道や祭事関係者、招待客の方しか参列できないそうなので、せめて祇園の御神水でお茶を点ててみようと、ペットボトルに入れて持ち帰り、抹茶を点ててみました。
(本殿には上がれませんが、境内のモニターで献茶祭の様子をご覧になることはできます。)

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パワー溢れる御神水で点てた抹茶は格別で、ありがたい気持ちになりました。
(御神水は生水ですので、ご心配な方は一度煮沸してから飲むことをお勧めします。)

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明日16日の献茶祭では、八坂神社境内のほか周辺9カ所で特別なお茶席が設けられます。
祇園の中で最も格式高いお茶屋さん「一力亭」や、「中村楼」「美濃幸」といった老舗の料亭がそれぞれ趣向を凝らしたお茶席、喫客をもてなします。
「一力亭」では、なんと舞妓さんがお運びをしてくださるそうです。
滅多に足を踏み入れることのできない「一力亭」ですので、大変貴重な機会ですね。
一度は体験してみたいです。

 

これらのお茶席券は、茶道の先生や関係者からしか入手することができませんが、菊水鉾のお茶会など、一般の方も参加できるカジュアルなお茶席もあります。
山鉾だけでなく、献茶祭や祇園祭ならではの趣向を凝らしたお茶会など、祇園祭の違った楽しみ方はいかがでしょうか?

お茶に纏わるモノ・コト・道具vol.4  「茶櫃(ちゃびつ)」「缶櫃(かんびつ)」


2015年7月3日

茶に纏わる道具の話が続きますが、今回は荒茶を保存するための茶櫃(ちゃびつ)についてお話します。
私たち茶業者は、茶櫃(ちゃびつ)と言わず、缶櫃(かんびつ)と呼びます。

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缶櫃の誕生は、今の「お茶屋さん」の原点である、宇治茶師たちの衰退に大いに関わりがあります。

江戸時代、宇治の茶師は、茶の興隆に合わせて、将軍家や大名、公家や社寺と強く結びつき、町人身分でありながら苗字帯刀を許されていました。
また、宇治茶師は幕府の御用茶師として、良茶を製する覆下栽培を特別に許されるなど、数百年にわたり手厚い庇護を受けていました。
この時代、宇治茶師が生産した茶は、すべてが碾茶でした。

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しかし幕末には、海外との貿易が始まり、宇治茶生産は不安定な状態に陥っていきました。
宇治の碾茶は良質ではありますが、コストが高く、輸出品には向きませんでした。

そして、1867年の大政奉還により幕藩体制が崩壊し、宇治の茶師は庇護者を失い販路を断たれます。
特権を失い、宇治以外の地でも大量に茶を生産するようになると、茶師は茶園を次々に手放し、宇治の茶業全体に危機が訪れました。

この時、長年茶師の権勢に圧迫されていた、茶師以外の茶製造者が玉露製法を完成させ、国内販路の開拓に努めました。
それがあのペットボトル茶で有名な「辻利」の創業者、辻利右衛門です。
辻利の創業は1860年(萬延元年)、大老井伊直弼が暗殺された桜田門外の変が起きた年です。

現在宇治茶存亡の危機を救った人物として、平等院門前に銅像が建てられています。

少しわかりにくいですが、宇治平等院を訪れた際には、門前右手をご覧ください。

20150702-IMG_5736この辻利右衛門、非常にアイデアマンだったそうで、玉露製法だけでなく、国内販路の開拓として、茶櫃(缶櫃)を考案しました。

それまでは、茶の保存や運搬には、写真のような茶壺を使用していましたが、防湿効果や積み上げることのできる長方形の形が運搬に便利であるということから、流通には利右衛門の缶櫃が主流となり、宇治茶は日本全国に再び広がっていきました。

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孫右ヱ門でも、製茶を終えた碾茶の荒茶を缶櫃に保存します。
缶櫃は、木箱で、箱の内側は隙間のないブリキ張りになっています。
木製の蓋も同じように、内側はブリキ張りになっています。

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缶櫃は、非常に密閉性が高いため、外気の温度、湿度の影響を受けにくく、お茶の劣化を防いでくれます。

孫右ヱ門では、近年まで、荒茶を入れて缶櫃のまま問屋さんに卸していました。
しかし缶櫃は、それ自体結構な重量がありますので、現在では、軽量で扱いやすい茶袋に主役を譲りました。

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現在孫右ヱ門にある缶櫃は、碾茶工場を竣工した昭和40年にたくさん仕入れたものですが、約50年経った今も、まだまだ現役で茶の品質を保ってくれています。

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ここ山城地方では、残念なことに、現在全ての缶櫃製造者さんが廃業されたと聞いています。
静岡でも缶櫃を製造されているのは、たったの6軒だとか。

缶櫃は防湿、防虫、断熱効果がありますので、お米や乾物、そして大切な衣類や写真、お雛様などの収納にも適しています。
古い缶櫃が、カフェのテーブルとして使われているのも目にしたことがあります。
木でできた缶櫃は見た目にもお洒落で、インテリアとしても使えそうですね。

時代の変化と共になくなるのは仕方がありませんが、宇治茶の危機を救った缶櫃が、新たな形で現代の生活に使われたら嬉しいと思う編集担当なのでした。