コラム孫右ヱ門

歴史vol.2 水主(みずし)の歴史


2016年2月20日

今回は、孫右ヱ門が位置する地元、水主(みずし)の歴史についてのお話です。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA木津川の右岸、孫右ヱ門の茶園のひとつ、「宮場」と呼んでいる茶畑のすぐ裏手に、こんもりとした森があります。
この森は、地元水主(みずし)の氏神様を祀る水主(みずし)神社の鎮守の森です。
この茶畑を「宮場」と呼んでいるのは、もともと宮馬場という地名で神社の境内の一部だったからです。
現在でも神社の石碑に宮馬場の文字が刻まれています。
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水主という地名は、全国の城下町・港町に所在する地名で、「水主衆(水夫)が集住する町」に由来するそうです。

「新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)」(平安初期に嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑)には、この地方に『水主直(みぬしのあたい)』という豪族がいて、水主直一族がその祖神を祀る氏神として水主神社を創建したという記述が残っています。(創建は5世紀中頃と推定されています)

水主氏は水の主であったと思われ、栗隅大溝(くりくまのおおうなで)と呼ばれる水路に、木津川から水を取り入れる水門管理を司った氏族だったと言われています。

水主神社は素佐之男(すさのお)の第五子・天照御魂神(あまてらすみたまのかみ)を筆頭に山背大国魂命神(やましろおおくにたまのみこと)まで十座を祀る延喜式に記載された大社です。

「祈雨の神」という記述もあり、平安時代中頃には、しばしば国家による雨乞いの対象になっており、水に関わる神社として国家から重視された神社だと言われています。

近代になってからも、水主神社の格の高さがうかがえるお話があります。
太平洋戦争の終戦間近に、この水主神社を守るため兵隊さんがたくさんやってきたと聞いたことがあります。

現在、水主神社は祭事のとき以外は神域に入ることはできません。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA鉄格子越しに、桧皮葺の本殿が見えましたが、厳かで風格のある本殿でした。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA本殿の左脇には、末社の一つである樺井月神社(かばいつきじんじゃ)の小さな社が見えます。
この樺井月神社は、もともと木津川の左岸にあったものが、氾濫で社地を失い、300年程前に水主神社の境内に移されたと伝えられています。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA樺井月神社は、狛犬ではなく水牛が社殿を守っています。
牛馬の疫病を鎮めるためとも言われていますが、牛が祀られていることからも農耕に関わる神様であることがわかりますね。

孫右ヱ門が位置する京都府城陽市は、川底が隆起してできた土地で、砂質土壌です。
そのためか、少し雨が降ると土砂崩れが起こり、荒水の被害に悩まされてきました。
また、木津川の度々の氾濫は、田畑を流し、人々は飢饉に苦しみました。
OLYMPUS DIGITAL CAMERAそのため、水主神社に限らず「水」に関係する神社が多く残っています。
城陽市の東部に位置する「水度神社(みとじんじゃ)もその一つ。
そして、城陽茶祭りが行われる「荒見神社(あらみじんじゃ)」も「荒見」は「荒水」の転字で、河川の氾濫による水害防除を祈って祀られた神社です。

また天満神社は現在では学問の神様のように言われていますが、江戸以前の天神信仰は、天神(雷神)に対する信仰のことですので、これも農耕や雨水に纏わる神社なのです。
このような天満神社も幾つか残っています。

弊社の茶園ができるずっと以前から、祖先は水と闘い、水とともに暮らしてきました。
現在も木津川は度々氾濫し、私どもの茶園も度々水に浸かっております。
砂質土壌で育つ茶の木は根がとても深いので、少々水に浸かっても流されてしまうことはないのですが、それでもせっかく撒いた肥料が流されてしまったり、流木を片付けるのはたいへん骨の折れる作業です。
自然の大きな力の前に、人々はなす術もなく神に祈ったのでしょう。
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先人たちの祈りに思いを馳せ、これからも茶園をお守りくださいと手を合わせました。

歳時記vol.7 ヨシ刈り


2016年2月4日

今日は立春です。
まだまだ外は寒いですが、暦の上では春が始まる日。
立春は一年の始まりとされて、決まりごとや季節の節目の起算日になっています。

「夏も近づく八十八夜…♪」と茶摘みを歌った唱歌がありますね。

地域の気候によっても異なりますが、弊社の茶園では、立春の今日を初日として、およそ八十八日目、5月2日頃に茶摘みの始まりを迎えます。

そんな茶摘みまでの冬の間、茶農家は何をしているかというと、茶園に施肥をし、茶棚を組み直し、茶園を覆うための寒冷紗や葦簀(よしず)の補修をするのです。
よしずは自然素材なので、風雨に晒されるとどうしても傷んでしまいます。

弊社は宇治川で採れた葦(ヨシ)を仕入れて、冬の間に傷んだ箇所を補修しています。

今回、編集担当は、弊社の茶づくりに欠かせない葦簀(よしず)の原料である、宇治川のヨシ刈りを体験しに行ってきました。
ご協力いただいたのは、以前このコラムでも紹介させていただいた宇治川のヨシ原を管理されている山城萱葺株式会社様と城陽いきもの調査隊の方々です。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA今回ヨシ刈り体験をさせていただいたのは、宇治川河川敷にある約35ヘクタールほどのヨシ原です。
宇治川のヨシは太くて丈夫なため、葦簀(よしず)の原料に最適で、宇治茶の生産にも大変寄与してきました。
ヨシの大きいものでは、4m近くにもなります。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA昔はヨシを扱う業者も多く、ヨシ原ももっと広大だったのですが、外国産の安価なよしずに押され、また弊社のように葦簀(よしず)を用いた伝統的な茶づくりをする農家が大幅に減少したため、ヨシ原を管理するのは、現在山城萱葺株式会社様たった一件となってしまいました。
現在は、そのほとんどが重要文化財の萱葺屋根などの用途に使われています。

歴史的にもこのヨシ原は古く、石田三成が秀吉からこの地域の葦(ヨシ)と荻(オギ)の権利をもらい、莫大な利益を得て、軍資金に活用したという逸話も残っています。
現在は機械で刈られていますが、今回の体験では三成の時代に思いを馳せて、鎌を用いて手で刈りました。

4m近くにもなるヨシを手で刈っていくのは、なかなか大変な作業です。
子どもたちも一生懸命頑張っていましたが、宇治川のヨシは本当に太くて丈夫です。
子どもの力では一本ずつしか刈れません。
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OLYMPUS DIGITAL CAMERA刈ったヨシはひとまとめにして束ね、テントのように立て掛けていきます。
あちらこちらにこのようなヨシのテントが並んでいる光景は、宇治川の冬の風物詩です。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA葦簀(よしず)は「ほんず製法」には欠かせません。
寒冷紗(黒い化学繊維)もよしずも霜除けのため、また茶園を遮光して茶葉の甘味、旨味を高めるためという目的は同じですが、
寒冷紗に比べて、葦簀(よしず)と藁で覆った方がなぜか旨味も香味も深くなります。
そして、大霜の時でも、寒冷紗より葦簀で覆った茶園の方が霜にやられなかったという経験もあります。
それは、ヨシの中が空洞になっているためだと言われています。
ヨシは日本家屋のように、湿度が高いときには湿度を含み、湿度が無い時に湿度を吐き出す効果があるのです。
それが化学繊維の寒冷紗との大きな違いです。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA近年、国産のヨシの確保は大変難しくなってきています。
自生しているヨシを活用しようとする動きもありますが、やはり人の手により管理されていないヨシは太さや形がバラバラで、なかなか使い物にはなりません。
この宇治川の冬の光景が、いつまでも受け継がれていくことを願い、一生懸命ヨシを刈らせていただきました。

協力:山城萱葺株式会社、城陽いきもの調査隊