コラム孫右ヱ門

月別: 2016年3月

お茶に纏わるモノ・コト・道具vol.8 「白」と「昔」


2016年3月19日

今回は、前回に引き続き「抹茶の御茶銘」についてのお話です。

抹茶をよく買われる方なら、末尾に「ナニナニの白」「ナニナニの昔」とつく茶銘が多いことにお気づきでしょう。

この「白」と「昔」の文字、
薄茶は「〜の白」で濃茶は「〜の昔」じゃない?と思われている方が多いかもしれません。
しかし、宇治市内に残る諸資料を当たっていると、どうやら「白」「昔」は薄茶と濃茶を区別するものではなかったことが分かってきました。
抹茶では、「白」「昔」の文字は一体何を表すものだったのでしょうか?
それはどうやら、抹茶の原料となる碾茶の製造方法に関わるもののようです。
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碾茶は、摘み取った生葉を蒸し、それを一旦冷ましてから焙炉(ほいろ)と呼ばれる乾燥炉の上で炙り乾かすというのが、古来より続く伝統的な製法です。
早い時期に摘み取った茶の新芽は、この蒸し製法で仕上げると非常に白っぽい抹茶になります。
こうして製茶された茶は「白」と呼ばれ、茶葉を蒸す製法は「白製法」と呼ばれていました。

それに対して、文献には「青製法」という言葉が出てきます。
古田織部が将軍家の御茶吟味役(毎年抹茶を試飲して、買い上げ品目を定める役)を務めていた慶長末年、宇治茶師の長井貞信によって工夫された製法が「青製法」と呼ばれていたようです。

「青製法」の資料は非常に少ないのですが、どうやら古来から続く「白製法」の生葉を蒸す替わりに、生葉を灰汁(あく)に浸した後、茹でてから炙り乾かす製茶方法だったようです。
灰汁は藁灰や木灰を水に浸した上澄み液のこと。
灰汁茶の芽が持つアントキアニンという成分が、この灰汁に含まれる塩基と反応すると、美しい青色(緑色)の碾茶に仕上がります。
浸して茹でるこうして湯引きする製法(青製法)で作られた碾茶が「青」と呼ばれていました。

古田織部に続いて御茶吟味役となった小堀遠州は、古来から続く白製法による「白茶」の最高級品を「初昔」と名付け、生葉を灰汁に浸してから茹でる青製法による「青茶」の最高級品を「後昔」と名付けました。
そして、将軍家の御茶御用を務める各宇治茶師が製茶する中では、「初昔」「後昔」よりも良いものはないというかたちを作り上げていきました。

お茶壷道中で知られる宇治の御茶師、上林家に残る「上林家前代記録」にも、
「初昔、後昔ハ公方家御好之風儀御茶極上之惣名故、茶師共何之家ニ而 も頭ニ立テ申候故、三番めよりハ其家之茶として面々存寄之銘ヲ付申候」
とあります。
「初昔」「後昔」は公方(将軍家)の好んだ極上の濃茶に付けられた茶銘であり、どの茶師もこの「初昔」「後昔」を筆頭の茶とし、どの銘柄もこれを上回るものがあってはならなかったということです。

この時代より後の宇治茶師の茶の価格表を見ても、初昔、後昔だけは別格。
桁違いに高価なことが分かりますよね!
御茶銘録1御茶銘2御茶銘3

元来、御茶銘の「白」は白製法で作った茶、そして「昔」の文字は、古来の伝統に即した、昔ながらの製法でつくられた茶という意味だったということが分かりました。

そして、これら「白」「昔」は全て濃茶のみに用いられた極上の碾茶の茶銘であって、薄茶として使用された碾茶には、固有の名前が付けられることはありませんでした。
薄茶にも茶銘が付けられるようになったのは、近代になってからのことです。
薄茶は元々は、濃茶用の碾茶を紙の袋に入れて茶壷の中に納める際に、その周囲の隙間を埋めるためにパッキンのように用いた「詰茶(つめちゃ)」であり、飲むためのものはなかったのです。
薄茶に固有の名前がつけられなかったのも分かりますね。
それにしてもなんて贅沢なことでしょうか?!
詰め茶

江戸時代の碾茶製造方法である、生葉を蒸す「白製法」と湯引きする「青製法」。
のちに青製法は途絶え、白製法のみが残り、進化して現在に至っています。

青製法がなぜ途絶えたのかは、資料や情報が少なすぎて、残念ながら分かりませんでした。

しかし、昨年数少ない文献を頼りに、この青製法にチャレンジした人がいます。
このコラムでも紹介したフリーランスの料理人兼茶道家の藤井忠さんです。(http://magouemon.com/column/people/people07/)

灰汁を作るところから、全て手作業で青製法の再現に取り組まれました。
全て手作業ゆえに、湯引きした葉を一枚一枚剥がす作業や、焙炉(ほいろ)の替わりに焙烙で煎る作業が大変だったようですが、さすがは茶道と製茶に精通した料理人さんです。
しっかりと青製法で碾茶を仕上げてこられました。
青と白
画像左が青製法で仕上げた碾茶。右が現在の白製法の技術で仕上げた碾茶です。
色を比べると、現在の白製法の方が緑色が鮮やかですが、江戸時代当時の白製法の技術では、碾茶はこのような鮮やかな色をしておらず、黄緑色だったと言われています。
黄緑色の抹茶しかなかった当時、青製法でできた鮮やかな緑色の碾茶は、非常に斬新だったのではないでしょうか?
味というよりは、黒い楽茶碗に映えるような新しい碾茶を作らせたかったのではないかな?と藤井忠さんは言います。
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今年は実際に乾燥炉や焙炉(ほいろ)を用いて、当時の製法にできるだけ近い形で再チャレンジするそうです。
昨年は灰汁に発色効果があったことを発見しましたが、今年はどんな発見をしてくれるでしょうか。

今後の良い茶作りのヒントになりそうで、とても楽しみにしています。

お茶に纏わるモノ・コト・道具vol.7 抹茶の御茶銘


2016年3月5日

お茶会の席で、抹茶を頂いた後、「先ほど頂戴したお茶の御銘は?」「お詰めは?」という問答があります。
「御銘」は「御茶銘」のことで、抹茶に付いている名前のこと。
「お詰め」というのは、抹茶の製造元のことです。
濃茶お茶屋さんに行けば、抹茶にそれぞれ名前が付いているのが分かります。
例えば、「初昔」「後昔」「関の白」「天授」「和光」「青嵐」…等々。
現在では、御茶銘はそれぞれに意味や由来を持ち、茶の湯に景色を添えるものとなりましたが、なぜ抹茶にそれぞれ名前が付けられるようになったのかご存知でしょうか?

茶銘の始まりは、茶園の区別をするための分類記号だったと言われています。

15世紀の末あたり(室町時代)から、碾茶を収めた茶袋に「無上」「別儀」「ソソリ」というような茶の良否や等級を表す言葉が記されるようになりました。
16世紀の後半(安土・桃山時代)になると、「無上」に代わり「極上」という表記が出てきます。
さらにその頃来日した宣教師ジョアン・ロドリゲスの著「日本教会史」には、最高品質の碾茶は、何も書かない白紙の袋に収められており、それを「白袋(しろぶくろ)」と呼んだと記されています。
茶壺に半袋ここまで出てきた「無上」や「別儀」と記された茶の名称は、碾茶の等級や品質を表すもので、今で言う「茶銘」に当たるものではありません。

「茶銘」が登場するのは、意外に遅く、江戸時代初期だと言われています。

抹茶の流通において「茶師」という存在は欠かせません。
茶師とは抹茶の生産に尽力した茶業家(おそらく現在の問屋+茶農家です)です。
当時から宇治の茶師は宇治茶を合組(ごうぐみ・主の葉に他の葉を混ぜることで色彩や香味の質を上げる方法)という方法で素晴らしい、より良いお茶を作っていました。

この頃の御茶銘は、茶師が数種類の茶を区別するためにつけていた記号にすぎませんでした。
例えば、当時の文献には「一の白」「いノ鷹」「綾の森」「宇文字むかし」など、数詞や茶園名を記したものが多く見られます。

茶壺に収められた数種類の碾茶、それぞれの半袋に記された茶の記号や名称は、たちまち雅趣を好むお茶人たちに注目され、茶の湯の中に一つの景色を添えるものとなりました。

江戸時代中期になると、茶に執心の大名や武家などが、出入りの宇治茶師に茶銘を付け与えるようになりました。
そこで命名されたものが「御銘」と呼ばれるものになりました。
つまり、茶師自身が名付けたお茶の名前は単なる「茶銘」。
大名や武家など敬意を表すべき顧客としての立場にある人が命銘した「茶銘」のみが「御銘」と呼ばれたようです。

近・現代になると、茶人や高僧など命銘した御茶銘が見られるようになりました。
御茶銘は、その茶の風味や茶席の景色を引き立てるものだけに、その命名には様々な心配りと、優れた美的センスが求められます。
弊社の抹茶にも「蒼穹」という御茶銘があります。
御茶入日記「どこまでも深く、どこまでも蒼い空のように、吸い込まれるような味わい。」という意味があります。
どこまでも蒼い空の下、風に揺れる茶園を思い浮かべてご賞味くだされば幸いです。
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参考文献:「京都府茶業百年史」、「日本教会史」
資料協力:上林記念館、宇治市歴史資料室

次回は御茶銘のお話の続き。
御茶銘に「昔」「白」という文字が多いのはなぜでしょう?
その謎に迫ります。