コラム孫右ヱ門

歴史vol.3 森・祝・宇文字・川下・奥ノ山・朝日・琵琶


2016年9月29日

森、祝、宇文字、川下、奥の山、朝日、琵琶。
記号?地名?さて、この七つの名は一体何を表わしているのでしょう?
ピンと来た方は、かなりの宇治茶マニアです(笑)

宇治茶の起源は、鎌倉時代。
栄西禅師が、中国から持ち帰った茶の種を明恵上人に贈り、栂ノ尾に植え、後に宇治に移し植えたのが始まりと言われています。
金閣寺の建立などで北山文化を開花させた室町三代将軍足利義満は、宇治茶が優れていることを認め、自ら茶園を作ってお茶の栽培を奨励しました。
この足利義満が作った茶園は、「森 祝 宇文字 川下 奥の山 朝日につづく琵琶とこそしれ」と和歌にも詠まれ、後に「宇治七茗園」と称され、宇治茶の発展の礎となりました。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA「森、祝、宇文字、川下、奥の山、朝日、琵琶」とは、足利義満が宇治に作った七つの茶園のことなのです。

この宇治七茗園については、史料もあまり残っておらず不明なことが多いのですが、「宇治七茗園」をひとつずつ和歌に出てくる順に巡ってみることにしました。
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まずは、「森」の茶園を探します。
JR宇治駅から大通りを南へ5、6分ほど歩き、住宅街への細い道を入ったところ、民家の生垣の中に石碑を見つけました。
OLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERAこの辺りが「森」の茶園。

次は「祝」です。
OLYMPUS DIGITAL CAMERAJR宇治駅南出口を出てすぐ、大きなマンションが建っている辺りが「祝」園です。
見事に跡形もなく、石碑すらありませんから、地元の人もここに茶園があったことを全く知らないそうです。

JR宇治駅に戻り、今度は反対側の出口、大きなロータリーと大通りのある方へ。
この辺りが「宇文字」です。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA植え込みの中に解説のパネルを見つけましたが、石碑はありませんでした。
明治29年に奈良鉄道が開通し、大正15年に「日本レイヨン(旧ユニチカ)」の工場ができたことで、宇文字茶園は完全に姿を消してしまったようです。
現在の駅前大通りにも宇文字の茶園が広がっていたようです。茶園の面影は全くありません。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA次に「川下」へ。
今度はJR宇治駅を北へ、宇治川に向かって歩いて行くと、「宇治武田病院」の看板が見えます。
看板を左に曲がり、JRの高架をくぐってしばらく歩くと、なんと民家の一角に石碑がありました。
これは気がつかないで通り過ぎてしまいそうです。
OLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERA次の「奥の山」は「宇治七茗園」の中で現存する唯一の貴重な茶園です。
宇治県神社の裏手、平等院や宇治川を望む小高い山をどんどん登っていきます。宇治市内が一望できます。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA途中、善法寺というお寺を横目にほぼてっぺんまで登ったところに「奥の山」茶園はありました。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA現在「奥の山」は、県神社の向かいにある「堀井七茗園」というお茶屋さんが管理をされています。
茶園には1800本ほどの茶木があり、在来種から20年の歳月をかけて選抜された「奥の山」という優良品種が大切に育てられています。
生産者の減少から宇治茶と呼べるものの範囲が広くなり、「京都・奈良・滋賀・三重の四府県産茶で京都府内業者が府内で仕上げ加工したもの」を宇治茶と定義するということになっていますが、「奥の山」の茶は、宇治で生まれ、宇治で育った、まさに生粋の宇治茶なのです。

少し疲れたので、堀井七茗園さんで一服。
朝日焼のお茶碗でお抹茶をいただきました。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA坂道を下って、今度は宇治橋を渡って宇治川の東側へ。
朝日焼の窯元がある辺りが「朝日」です。
「朝日」は「宇治七茗園」の中でも一番広大で、宇治川右岸の大部分が茶園だったと言われています。
石碑は、私有地の中にあるということで、残念ながら目にすることはできませんでした。
OLYMPUS DIGITAL CAMERAようやく最後の「琵琶」です。
「琵琶」は宇治市役所にあります。
市役所の駐車場に入る手前、茶木とともに「琵琶」の石碑がありました。
「琵琶」はお茶壺道中で有名な上林家が管理する茶園でした。
実際は、宇治市役所よりももっと西側に茶園が広がっていたそうですが、現在は宇治市のシンボルとして市役所に置かれています。
OLYMPUS DIGITAL CAMERAこれで「宇治七茗園」すべての茶園を回りました。
「森、祝、宇文字、川下、奥の山、朝日、琵琶」すべて歩いて、約2時間の散歩コースです。

都市化の波とともに茶園は姿を消していき、現存するのは「奥の山」茶園たったひとつとなってしまいましたが、昔はこの宇治の土地に広大な茶園が広がっていたことに思いを馳せながら、宇治を散策してみるのはいかがでしょうか?

石碑は民家の中にあるものもあります、ご迷惑にならない範囲で撮影をお願いします。
また「奥の山」茶園は堀井七茗園さんにお願いすれば案内して頂けます。許可なしに茶園に踏み入ることのないようお願いいたします。