コラム孫右ヱ門

ひとびとvol.6 阪口 理恵さん


2016年10月24日

孫右ヱ門とお付き合いのある人々に編集担当がインタビュー。
様々な視点から見た孫右ヱ門を語っていただきます。

今回は、孫右ヱ門のホームページやリーフレットの英語訳、孫右ヱ門ツアーの外国語通訳を担当してくださっている阪口理恵さんです。

<阪口理恵さんプロフィール>
翻通厨房 RIESRAUM
ドイツ語/英語⇔日本語 翻訳&通訳
貿易アドバイザー/フードコーディネーター

Q1.孫右ヱ門との出会いを教えてください。
もともとお茶が好きだったんですけど、日本茶というよりはむしろ紅茶派でした。
通訳の仕事をする中で、日本茶の説明を要されることがあって、日本茶の知識が必要だと思ってた折、
知人の主催で茶香服というイベントがあることを知って参加しました。
茶香服は五感を使って5種類の茶の産地を当てるゲームです。
それが孫右ヱ門さんとの出会いでした。

今まで産地の違いなど考えたこともなかったので、日本茶=お茶という認識で(笑)
どれもさほど変わりはないと思っていたのですが、それぞれのお茶の違いに本当に驚きました。
日本茶の奥深さに驚き、とてもおもしろいと思いました。
%e7%90%86%e6%81%b5%e3%81%95%e3%82%93普段生産者さんのイベントに参加しても、自ら話し掛けに行くということはないのですが、
お茶の奥深さにあまりに感動して、思わずイベントが終わってから孫右ヱ門さんに話し掛けに行きました。
その時は現在のようにフリーランスではありませんでしたが、「通訳等必要でしたらお声掛けください」とだけお伝えしました。
その後も孫右ヱ門さんのイベントに幾度か参加しましたが、あるとき孫右ヱ門さんからホームページの翻訳をお願いしたいとの連絡が入りました。
初めてお話した時に、孫右ヱ門さんが「通訳が必要になったらお願いします」と言われましたが、てっきり社交辞令だと思ってました。
まさか本当に仕事の依頼が来るなんて思っていませんでした。

Q2.孫右ヱ門の翻訳のお仕事で、大変だったこと等ありましたか?
まずお茶ついて勉強しながら翻訳しなければならなかったのが大変でした。
生産者やその道のプロがニュアンスで分かっているものを、自分に落とし込み、それを別の言語に翻訳するのは難しいことです。
まずはお茶について勉強しながら、孫右ヱ門さんの言葉をはっきりと把握することから取り組みました。
%e7%bf%bb%e8%a8%b3products例えば、孫右ヱ門さんが言う「抹茶の黄緑色」ですが、ひとえに黄緑色と言っても、黄色よりなのか、緑よりなのか、蛍光色っぽいのか、、、様々です。
孫右ヱ門さんが指している黄緑色がどのような色なのか、きちんと把握しなければ正しく伝えることはできません。
また、出汁を日本人に説明するのは簡単だけど、外国人に説明するのは、まず鰹節がどうやってできているのかから説明しなければならないように、日本人ならすぐにわかるようなことでも、それを文化の異なる外国語に訳すとなると、どうしても文章が長くなります。
いかに、孫右ヱ門さんの茶づくりに対する情熱、熱意を正しく伝えられるかということ。
なぜ「ほんず抹茶」というものがこれだけ高価なものなのか、読んだ人に正しく理解していただけること。
ここに一番神経を配りましたね。

Q3.阪口さんから見た六代目孫右ヱ門はどんな人ですか?
一言で言うと「芸術家」(笑)
他の生産者さんと比べて、孫右ヱ門さんの表現はとても絵画的です。
過去にアーティストの方の翻訳を経験しましたが、孫右ヱ門さんの表現はそれに似ていると思いました。
孫右ヱ門さんの言葉を風景として頭に描くことは容易なのですが、文章として具体化するのはとても難しいです。
絵画のような言語表現の断片を、組み直して日本語にしてから、それを英語に翻訳すると言う作業が必要でした。
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Q4.今後の孫右ヱ門に期待することはなんですか?
今のままブレることなく、ホンモノを作り続けてもらいたいと思います。
私の役目は、孫右ヱ門さんが表現する映像を、観客がありのまま受け止められるようにスクリーンをピンとまっすぐ張るようなことだと思っています。
プロダクトが良ければ良いほど、いかに正しく見てもらうか、裏方の仕事が大切になってくると思います。
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Q5.阪口さんの今後の野望を教えてください。
日本人にも知られていない日本の美味しいものを掘り起こし、日本語、英語、ドイツ語なんでもいいですが、自分の語学という力を使って、普通に近所の人が接するようなリアルさで伝えたい。
それをライフワークにしていきたいです。
もともと「食」に携わっていたいと思っていましたが、孫右ヱ門さんとの仕事を経験し、作り手の気持ちを伝える喜びを知ることができたのは私にとって大きな衝撃でした。
孫右ヱ門さんとの仕事が、そうした「食」を伝えることをライフワークにするきっかけとなったのです。
%e3%82%ac%e3%82%a4%e3%83%89%e7%90%86%e6%81%b5%e3%81%95%e3%82%933ひと針の手仕事のように、作り手の心までも丁寧に伝える阪口さんの翻訳は、孫右ヱ門HP英語版で見ることができます。
http://www.magouemon.com/en/

ひとびとvo.5 陶芸家 清水志郎さん


2015年12月1日

陶芸家:清水志郎さん

<略歴>
京都五条坂に陶器屋三代目として生まれる。
陶芸家である祖父・清水卯一と、父・清水保孝のもとで育ち、自然と陶芸の道に進む。
祖父卯一、父保孝に師事し、2013年松ヶ崎に独立。
土にこだわり、京都で自ら土を掘り、自作の炭窯で焼き物に仕上げる。
焼物とは何かを知るために、現在も日々追求し続けている。
清水家HP http://www.shimizuke.net
OLYMPUS DIGITAL CAMERA孫右ヱ門との出会いは、京都にあるギャラリーYDS。
清水志郎さんの器を用いた食事会に孫右ヱ門が参加したことがきっかけでした。
孫右ヱ門は、そこで出会った清水さんの作品に惚れ込み、秋に行った孫右ヱ門オリジナルの口切りの儀には、清水さんの作品である茶碗を使わせていただきました。

今回は、孫右ヱ門が魅了された清水志郎さんの作品づくり、また清水さんご自身について、いろいろお話を伺いました。

編集担当:清水さんは、自ら掘った土を使って作品作りをされていますが、何か文献を頼りに
     土選びをされているのでしょうか?

清水志郎さん(以下「清水さん」):
     いいえ、最初は、行き当たりばったりでした。
     あ、今ここで工事してるから頼んで土もらってみようか…とか。
     「土出てませんか?」「どんな土や?」「陶芸に使うんですけど」
     「そんなん知らんわ、自分でみてくれ」みたいな。

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     その後、色々な情報を聞いたり、文献を調べて探すようになりました。
     鴨川の近くはヘドロが多いから使われへんなとか、
     東山連峰には清水焼、泉涌寺焼、日吉焼、八坂焼…等々、色々焼物がある。
     焼物があるってことは土があるよねと思って。
     じゃあ東大路、白川通りは狙い目だな、とか分かるようになりました。

編集担当:特に京都の土へのこだわりはありますか?

清水さん:いいえ、どこの土が良いとかはなくて、京都に限らずどこの土でも作ってみたいです。
     あえて言うなら、地元の土、近所の土にこだわってるのかなぁ。
     生まれ育った京都馬町の土は、僕にとってすごくリアルで面白いです。

     京都ブランドは有利ではあるんですけど、京都の土というだけでチヤホヤされてしまったら、
     自分の実力を勘違いしちゃうじゃないですか。そこで勝負はしたくないなぁと思います。
 
     あと、僕は人間国宝、清水卯一の孫ということで、有難いことの方が多いんですけど、
     清水志郎として見てもらえなくて、寂しい思いをしたこともあるので、
     冠だけで見るようなことは自分はしたくないなと思います。
     まぁ、したくないと思っている時点でしてしまってるんですけど。

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編集担当:焼物の土は使いやすいように混ぜて使うのが一般的だと思うのですが、清水さんは土を混ぜずに
     単味(単体)で使ってらっしゃいますよね?なぜ単味にこだわって土を使われるのでしょうか?

清水さん:作りやすい土で作っていると、上手くなったような気になってしまうし、
     それでは自分がダメになると思うんです。
     確かに単味には形の限界があります。

     今みたいに土の作業をしている時に、この土で何ができるかを考えるんです。
     きめ細かいから急須に向いてるかな?これはもう板皿にしかならんわとか。
     そう考えていると面白くて、僕はこの作り方をベースにしています。

     こうして自分に負荷をかける方が、必死で向き合うし本気になる。
     失敗も多いけど、できる限り粘りたいですね。

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この日、清水さんが使っていたのは五条坂の土。
手作業で土の中の石を取っています。
機械で精製するときれいに均一になりますが、それでは土の特徴が薄れてしまうと清水さんは言います。
砂利の方が多くて、手作業でも取り除けないこともあるけど、それはそれで面白い味が出るのだとか。

編集担当:次は清水さんの「人となり」についてお尋ねします。
     どこかの個展でのプロフィールに、「2009年、書道をはじめる/2011年、気功整体を学ぶ」とあった
     のですが、書道や気功整体は、清水さんの作品づくりに影響を与えているのでしょうか?

清水さん:書道や気功整体では、先生の影響も受けていますし、それに限らず、
     その時その時出会った人の影響って少なからず受けるものだと思います。

     気功整体は母の病気をきっかけに習い始めました。
     気功整体を練習する中で分かったことですけど、「治してやろう、治してやろう」と思った瞬間に
     全く効かなくなるんですね。
     でも相手を感じようとした瞬間に効いていく。
     そういう東洋的なところが、器づくりに通じているなと思いました。

     西洋の美術や現代アートは、いかに自己表現するかですけど、日本の美術や工芸は、
     いかに自分というものを後ろへ持って行くというか、相手を優先することにあります。

     例えば、器ならどんな料理を盛ると綺麗だろうかを優先すると、自然と自分というものが薄まって、
     美しい内側の見込みが出てきます。
     主張のあるものより、そういう日本的なものの方が、使っていても心地良いいなと思います。

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編集担当:清水さんにはお茶摘みツアー、口切りの儀など孫右ヱ門のイベントにも
     参加していただきましたね。孫右ヱ門の抹茶を飲まれた感想は?

清水さん:口切りの儀でいただいたお濃茶は美味しいなぁと思いましたね。
     今度は点てずに飲んでみたいです。
     泡を点てると美味しくなっちゃうじゃないですか(笑)だからそのままの味を試してみたい。

編集担当:すごく清水さんらしい感想ですね(笑)

編集担当:最後に清水さんのこれからについて教えてください。今後何かやってみたいことはありますか?
     個人的なことでも結構です。

清水さん:「一日一花生け」
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     昨日から始めたんですけど、一日一花を毎日生けること。
     先日、清水家主催のお茶会をしまして、その時に花を生けたんですけど、土壇場で当日、無理矢理
     山へ散歩に行って花を採ってきたんですね。
     そんな付け焼き刃なものじゃなくて、日常の中で花を生けることを習慣にした上で、茶会の時に、
     自然に生けられるようにしたいと思っています。

     あとは、「普通のことを普通にちゃんとできるようになりたい」ということでしょうか。
     僕の尊敬する備前の焼物の先生が、「直球で勝負できるように、いつでも直球を磨いておきなさい」
     とおっしゃられたんです。
     刺激の多い世の中で、変わったものが求められているけど、スタンダードの直球で勝負しようとしな
     いと生き残れないと思います。

     昔からあるものを勉強したり、本物を見て、本物に挑みたいです。50年後を目指して。
     50年後には、また20年後目指してとか言ってると思いますけど(笑)

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   あとは窯を作りたいです。今、庭にあるのは7号機。もう少し大きいものが入る8号機を作りたいです。
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清水さんの自宅兼工房の庭にあるのは自作の炭窯。
住宅地の中で、できる限り煙を出さないよう、炭窯を自作したのだとか。

今回、清水さんのご自宅でもある、松ヶ崎の工房にお邪魔しました。
掃除の行き届いた仕事場、目に見えないけれど、昔ながらの竹駒いの上に土壁を塗り、陶芸の白土を塗り重ねた壁など、住まいの至る所に、清水さんの本質を追求する心が宿っていました。

孫右ヱ門も惚れ込んだ清水さんの作品はとても魅力的です。
清水さんの日々の暮らし方、心のあり方、そのどれを取っても本質を目指すという一つのところへ行き着きます。
その果てしない探究心に頭が下がる思いでした。

来週よりギャラリーYDSにて、「Re:planter × 清水志郎 二人展 ~去~」が行なわれます。
ぜひ、清水さんの作品をご覧に、足をお運びください。

◆ 開 催 期 間 :2015年12月6日(日)~12月12日(土)
◆ 時   間  :11:00~19:00
◆ 場  所   :ショップ&ギャラリー YDS
◆ オープニングパーティー : 6日 PM 7 : 00~ 参加費2,000円
※VOLVER 宍倉 慈 さんによるビュッフェスタイルのお料理でのおもてなし。

ひとびとvol.4 内田喜基さん


2015年8月4日

コラム孫右ヱ門、今回は孫右ヱ門に関わる人々です。
編集担当が孫右ヱ門と関わりのある様々な人々を訪れ、大いに語ってもらいます。

今回は、孫右ヱ門の顔とも言えるロゴデザインと商品パッケージをデザインしてくださったアートディレクターの内田喜基(うちだ・よしき)さんです。

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Q1.孫右ヱ門との出会いを教えてください。

京都の伝統木版画工房、竹笹堂さんと一緒にポスターを作るお仕事をさせていただいているのですが、その竹笹堂代表の竹中健司さんの呼びかけで、1/f(YURAGI WORKS)という京都を中心に日本文化を発信する職人やデザイナーなどの集まりがありまして、その飲み会の席で初めてお会いしました。

その時は、まだ仕事につながるような話は全くしなかったんですが、その後、同じ1/fメンバーで、孫右ヱ門さんとも関わりがあり、パッケージのお仕事をさせていただいていた”あめ細工 吉原さん”が、僕の話を太田さんにしたところ、僕の仕事に興味を持ってくださったようです。

ちょうど商品のパッケージデザインをどうにかしたいと思っているタイミングだったようで、後日ご連絡をいただき、実際に東京でお会いすることになりました。

東京での食事の席で、太田さんから伝統的な製法の抹茶を何とか残していきたい、そのためにもっとほんずの抹茶を広めていきたいという熱い思いを聞かせていただいて、僕も共感し、意気投合。

孫右ヱ門さんのデザインを手がけることになりました。

 
Q2.孫右ヱ門のロゴデザインやパッケージへの思いをお聞かせください。

デザインに取り掛かる前に、孫右ヱ門さんの茶園を何度か訪れました。

一番良い土壌に、こだわり抜いた有機肥料を与え、次の年の品質のために新芽の一番茶だけ手摘みする。
そんな手間暇を惜しまない、ていねいな仕事に驚きました。

それでいて、製茶の工程は無駄を削ぎ落としたシンプルなもの。
そして、出来上がった抹茶はほのかに甘く高貴な香りがする。

僕はそこに歴史の重みと凛とした品格を感じました。

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これまでの歴史を重んじつつ、今後進むべき未来を視野に入れたデザイン、それが太田さんの依頼でした。

昔ながらの伝統的製法を守って、美味しいものをちゃんと残していきたいという太田さんの気持ちをリスペクトして、やはりそういうモノトナリのデザイン、ブランディングをしたいと思いました。

僕は孫右ヱ門の顔である「ロゴ」には、代々受け継がれてきた『文』の字は残さないといけないと思いました。
デザインは新しくなっても、代々守ってきたものは大切にしたいと思ったんです。
メイドインジャパンを体現する家紋としての意味合いもあります。

outline_logo

パッケージは格調高く、それでいて主張しすぎない存在感を白で表現しました。
わかりやすくするために「京抹茶」という文字を加え、大切な『文』の字と孫右ヱ門という書を一緒にして組み合わせました。

PKhonzu

PKkyoumatcha

もう一つ、これは依頼になかったものなんですけど、フレーバーティーを商品化することを提案しました。

孫右ヱ門さんをこれからの売り出すにあたり、高級なラインだけでなく、低価格で、おみやげや贈り物として手にとってもらいやすい商品、つまり孫右ヱ門というブランドを知ってもらう広告塔のような立ち位置の商品が必要だと考えたからです。

PKflavourtea

他のラインとは差別化し、女性が心惹かれるようなデザインにしました。
一枚の紙を折って、着物を着ているようなイメージのデザインです。

一過性で仕事をする訳ではなく、パッケージから派生してはいるんですけど、全体的な孫右ヱ門の見え方というか、ブランディングを長い目で一緒にやっていきたいと思っています。

 
Q3.内田さんから見た六代目孫右ヱ門、太田博文はどんな人ですか?

お仕事を通しての印象は、お茶に関してとにかく熱いスペシャリスト。

昨年、海外で日本文化を発信する活動の一環として、ニースとモナコ、チェコ3カ国の旅を共にしたんですけど、途中、本当に色々なアクシデントがありまして、太田さんの天然具合を目の当たりにしました(笑)

やはり寝食、苦楽をともにすると、お互いに人間として隠しきれない部分が出るので、お仕事だけではない、人間としての絆と信頼が深まったように思います。

旅を終えての印象は、公私ともにとてもまっすぐな人ですかね。

人間味あふれる人の方が一緒に仕事もやりやすいので、これからも太田さんとは深くやっていきたいです。

 

Q4.今後の孫右ヱ門に期待することは何ですか?

昔ながらの製法を守って、美味しいものをつくり続けるという太田さんの熱い思いをとてもリスペクトしているので、これからも続けていって欲しいと思います。

また、出汁として碾茶を使うなど、海外でも新たな見せ方でお茶を発信していきたいという夢を持っていらっしゃるので、僕も僕なりのデザインやブランディングというパートで、一緒に考え、行動して、力になっていきたいと思っています。

ずっと「続ける」ことで気付くことが多々あるので、これからも伝統を守りつつ、海外への発信も続けていって欲しいです。

 

Q5.内田さんの今後の野望を教えてください。

6月に「COIL」というプロダクトデザインブランドを静和マテリアルと一緒に立ち上げました。
「COIL」は、今まで出会った人や、これから出会う人をどんどん巻き込んでいくという意味でつけました。

今までグラフィックやパッケージデザイン分野だけだったのですが、もっと分野を広げて、例えばバッグや、陶器、文具といったプロダクトを作っていくべく、今動いています。

今自分の周りに繋がっている職人さんたちや色んな分野の方と、様々なプロダクトを作っていきたいです。

僕がデザインした陶器で孫右ヱ門さんのお茶を飲む、とかね。
その夢のはじまりを始めたばかりです。

あと、ライフワークでKANAMONO ARTという活動をしていて、以前太田さんと行ったモナコでも展示を行ったんですけど、今年も錫(すず)の職人さんと個展をすることになっています。

年に1、2回はKANAMONO ARTのイベントなり個展をライフワークとしてやっていきたいなと思っています。

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COIL(http://www.coil-products.com)
内田さんの夢のはじまりであるCOILは、内田さんと既に繋がりのある人、これから繋がっていく人をどんどん巻き込み、新しい視点を創る、そんなプロダクトデザインブランドです。

KANAMONO ART(http://kanamono-art.com)
内田さんのライフワーク。
カナモノ(クギ、ドライバー、ネジ、ペンチなど)無機質な金属48種類を組み合わせ、有機的な生き物を創るKanamono Artのサイトです。

 

内田喜基さんProfile:
博報堂クリエイティブ・ヴォックスに3年間フリーとして在籍後、 2004年cosmos設立。
広告クリエイティブやパッケージデザインにとどまらず、 商品デザインやアート本「Kanamono Art Ⅰ・Ⅱ」(誠文堂新光社)の出版や、 インスタレーション・個展を開催。
2015年プロダクトデザインブランド「COIL」を 静和マテリアルと一緒に設立。その活動は多岐にわたっている。
主な受賞歴 D&AD 銀賞 / 銅賞、Pentawards 銀賞、OneShowDesign 銅賞、 reddot award、NYADC Merit賞など。

ひとびとvol.3 藤井忠さん


2015年5月16日

今回は、孫右ヱ門と深い関わりがあり、世界を駆け巡る料理人兼イベンター、茶道師範など様々な顔を持つ若き料理人、藤井忠さんをご紹介します。

藤井 忠さん(フリーランス料理人、茶道裏千家師範、華道嵯峨御流師範)

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Q1.孫右ヱ門との関わりを教えて下さい。

孫右ヱ門とは、4年前に京都の知人の集まりで出会いました。

そして、2013年に僕が代表を務めるYUIの活動の一環として、イギリスでのイベントにお誘いし、ほんず抹茶を提供していただきました。

その翌年には、フランス、モナコ、チェコでのイベントを一緒に行いました。

僕は昨年まで、半年をモナコ、残りの半年を日本で過ごすという生活をしていて、2年前から日本にいる間、時々、孫右ヱ門の茶園のお手伝いをさせていただいています。

 

Q2.孫右ヱ門で茶の生産に携わろうと思われたのはなぜですか?

僕は料理人ですから、美味しい野菜がどのようにして作られるのか関心を持っています。

土から野菜ができるのと同じで、もちろん茶も土からできます。

おいしいお茶がどのようにして作られるのか、そこに携わることで肌身で知ることができると思ったからです。

はじめて茶園で「藁振り」の作業を手伝わせてもらった時は、不安定な足場に立つのが怖くて怖くて。藁振り作業は今年で3回目ですけど、ようやく慣れてきましたね。

最高級の抹茶を作るのが大変な作業なのだと、日々肌身で感じています。

 

Q3.孫右ヱ門六代目と様々な場面で一緒にお仕事をしていただいていますが、藤井さんから見た六代目はどんな人ですか?

素直で素朴で天然(笑)

でも、茶の生産へのこだわりは凄いです。昔ながらの製法を守っていく意識の高さには凄いものを感じます。

熱い思いのある仕事を一緒にさせていただいて、魂が鼓舞されますね。

 

Q4.孫右ヱ門の「ほんず抹茶」を飲んだ感想は?

僕は長年茶道に携わってきましたが、こんなおいしい抹茶を口にしたのは初めてでした。一番上級に位置する「ほんず抹茶」が、お茶の質を見極めるバロメーターとなりました。

 

Q5.海外で日本文化を広める活動をするYUIですが、そのような活動をしようと思ったきっかけは何ですか?

世界では、漫画、アニメやコスプレなど、日本のPOP cultureは普及しています。

でも、日本の伝統技術、文化、継承が危ぶまれている中、世界で活躍する日本人や日本の伝統技術・文化を世界に伝えようとする職人達とコラボレーションして、世界に”ほんまもん(本物)”の日本の伝統を伝えていきたいと考えたからです。

 

Q6.藤井さんは料理人である他に、茶道裏千家師範、華道嵯峨御流師範をお持ちですが、茶道や華道に携わるきっかけは何だったのですか?

僕は17歳で単身モナコに行きました。海外で過ごしていると、外国人から日本の文化について聞かれることが多々あります。日本の文化について聞かれてもまともに答えられなくて、歯がゆい思いをたくさんしました。

それが、茶道や華道を始めたきっかけです。

和食が無形文化遺産になり、日本もグローバル化しつつあるなか、日本人が日本の事を知らないということは多々あると思います。グローバル化することは、今後の日本成長に向けて重要な事ですが、同時に、日本を知る事も忘れてはいけないと常に思っています。

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Q7.藤井さんの2015年はどのようなものになりますか?

料理、茶道の両方で、孫右ヱ門とコラボレーションし、イベントを展開していく予定です。

まずは5月10日、5月17日の孫右ヱ門Presents.お茶摘み体験ツアーにて、松花堂弁当「富貴の春」を担当しています。そして現在は、京都嵐山の高級ホテルで孫右ヱ門とのコラボレーションイベントを考えています。今後を楽しみにしていてください。

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Q8.藤井さんの将来の野望を教えてください。

まず茶道家としてですが、茶道の精神、本質は曲げないで、新しい見せ方をしていきたいです。

茶道には細かな決まりがあります。例えば、夜咄は本当は冬限定のものであるとか。

そういった決まりや垣根を取り払って、もっと驚きやユーモアを織り交ぜた新しい見せ方をしていきたいです。

料理人としては、今はフリーで茶懐石や寿司懐石などのケータリングを行っているんですが、将来は京都の山奥でひっそりと、外国人相手にお料理を振る舞うお店をやりたいですね。もちろん茶室も作りますよ。

お料理を食べて、お茶も楽しんでもらえる、そんなお店をやりたいですね。

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多才な若き料理人、藤井忠さんの今後が楽しみです。

 

<藤井忠さんプロフィール>

15 歳で東京の広尾にある寿司屋で修行。

二年半の修行を経て、18 歳で単身渡仏、モナコで老舗の日本食レストランLe Fuji で6 年間学び、和食を本格的に学ぶため、日本に帰国。

大阪ヒルトンプラザウエストホテルの日本料理店で働く。

モナコへ戻り、副料理長として働く。

2013年、日本の伝統文化を海外で広めるために、日本の職人たちを集め団体YUIを結成。代表を務める。

同年、イギリスの高級ホテルにて、Japan Festivalの企画を立ち上げる。

ブルネイ皇族関係者に高級抹茶懐石を、原尻料理長と共に振る舞う。

同年、ロンドンのチェルシーにある、高級会員制クラブで開催された震災charityイベントで、お寿司を提供。

日本では茶懐石をメインとした出張料理人。

料理人の顔だけではなく、趣味の域をこえて、華道、茶道にも精通し,モナコの日本庭園で茶道を披露。

茶道裏千家師範、華道嵯峨御流師範を持つ。

ひとびとvol.2 茶摘み師 太田淑子


2015年4月16日

コラム孫右ヱ門テーマ、今回は孫右ヱ門に関わる人々です。
編集担当が孫右ヱ門と関わりのある様々な人々を訪れ、大いに語ってもらいます。

今回は、六代目孫右ヱ門の母であり、茶摘み師の太田淑子をご紹介します。
茶農家の嫁として、また茶摘み師として、その人生を語ってもらいました。

太田淑子(孫右ヱ門 茶摘み師)

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会う度「いつもご苦労さんでございます」と腰低く、笑顔で出迎えてくれる「孫右ヱ門のおかみさん」こと太田淑子さん。

今日も約束の時間に茶畑に行くと、いつもと変わらない笑顔で、頭を深々と下げ「ご苦労さんでございます」と出迎えてくれました。

 
太田淑子は京都市大原野の善峰寺近く、水稲とたけのこの農家に生まれました。
昭和42年、五代目孫右ヱ門、太田文雄に嫁ぎ、茶農家の嫁となりました。

 

<茶農家に嫁いで…>

太田淑子:嫁入り当時大変やったんは、とにかく人の世話です。

昔は、お茶の時期になると、茶摘み子さんや男の人が宇治や奈良、遠くは姫路から手伝いにきてました。

そのほとんどが泊り込みで、その20人程の世話と、家族8人の世話が義母と私の仕事でした。
雨で畑仕事がなくても、3度の食事の世話はせんならん。
毎回、給食みたいな食事の量でした。

宇治からの茶摘み子さんで、泊りでない人らの送り迎えをすることもありました。
朝4時に起きて摘み子さんを迎えに行って、夕方6時になったら送っていく。
その間に泊り山の食事の準備や家事を済ませました。
昔はケンズイ(食事の合間に出す間食のこと)のおにぎりもぎょうさん(たくさん)作ったもんです。

 

編集担当:嫁入り当時は、畑へは入らず、専ら人の世話に明け暮れたそうです。
茶の仕事に係わるようになったのは、子どもの手が離れてから。

覆下の骨組や杭打ちなどの力仕事もこなし、施肥や草曳き、防除のホーズ持ちなど、五代目孫右ヱ門の茶づくりを支えてきました。
木津川が氾濫した時には、夫と共に、胸まで水に浸かりながら茶木の上の流木を片付けたこともあったとか。

冬場は義母に教わりながら、菰編み、藁編みもしたそうです。

そして、5月~6月の茶摘みのシーズンには、摘み子さんの取りまとめという重要な役割があります。
現在、孫右ヱ門の茶園では、総勢約80名の摘み子さんがいます。
そんな摘み子さんを取りまとめるのは、今も昔も変わらず、茶農家の嫁の役割なのです。

 

<お茶摘みの仕事について>

太田淑子:お茶摘みは、人の采配が大変です。

摘み子の取りまとめを任されるようになってすぐは、年配の摘み子さんに気を使ったもんです。

気を使って、摘み方の注文もでけへん(できない)こともありました。

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とにかく、茶園の中では、摘み子さん同士仲良くしてもらうのが一番です。
摘み子は殆どが女ですから、いざこざもあるんです。
来てくださる摘み子さんそれぞれにこまめに声かけて、あまり摘めてない人がいたら、足して入れてあげたりもしてます。
茶摘みにきて、楽しかったと言うて、また来年も来ようと思ってもらえるように気を配ってます。

茶園の中では、摘みながら色んな場所で色んな話が飛び交っててほんまに賑やか。
摘み子さんの中には、お料理やお花や茶道の先生もいた時があって、みんなそれぞれ知恵の交換をして楽しかったのを覚えてます。

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編集担当:

抹茶の品質の要は、まず「摘むこと」にあります。
製茶工場に持ち込まれる一芽一葉が、どのように摘まれたかが重要になってきます。
その「摘む」ことを担ってきたのが、「摘み子さん」です。
その摘み子さんを取りまとめ、世話をしてきたのが茶農家の嫁なのです。
現在では、熟練の摘み子さんも高齢化し、摘み子の確保が難しくなってきています。
おかみさんは、毎年摘み子さんが集まるかどうかがいつも頭の中にあるそうで、「お茶摘みが始まって摘み子さんの顔を見るまでは安心できない」と話します。

 

<茶の仕事の苦労について>

太田淑子:取材なんかで「苦」は何ですか?と聞かれますけど、「苦」と思ったことはないです。

茶農家に嫁いだ以上、力仕事でも何でも、言われたことはしていかんならん(していかなければ)と思ってやってきました。

何でもしていかんと茶はできないから。

 

<茶の仕事で一番嬉しい瞬間は?>
太田淑子:やっぱりそれは、製造が終わって、美味しい味のお茶ができた時です。
ええ旬にとれたお茶は、ほんまに美味しい。

それと、茶摘みが始まって、茶園に入ったとき。
覆下の茶園に入った瞬間に、お茶の甘いええ匂いがするんです。
寒冷紗よりも「ほんず」の方が、ええ匂いがする。
ああ、今年も新芽のいい匂いがしてきたなぁと思うときが一番嬉しいかな。

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編集担当:そう言って、濃緑色の茶園の光景を思い浮かべているのか、嬉しそうな顔をするおかみさんに、ああこの人は真の茶人なのだと思いました。

茶道など文化面においては、多くの女性が華やかな和服に身を包み、美しい佇まいで、非日常的空間を見事に演出しています。
しかし茶道においては、所作や規矩に重きが置かれ、その場で供される抹茶について、味、香り、色合い、またどのようにして作られたのか、生産や加工については特別な関心を払われる方が少ないように感じます。

今回、茶農家の嫁としての太田淑子を紹介させていただいたのは、こうして土と共に生き、泥まみれになって茶を育てている女性が京都の茶を支えていることを、多くの方に知っていただきたかったからです。
太田淑子をはじめ、京都の茶業に関わった女性達の生き様をまとめた本がこの度出版されました。
「京の茶を支えた女人たち」杉本 則雄 著

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茶摘みの歌にも「摘まにゃ日本の茶にならぬ」とあるように、多くの摘み子さんやその裏で世話をする茶農家の女たちなくして、茶はできないのです。
このコラムを読んでくださった方々が、どこかで抹茶を口にする時、そんな女性たちに思いを馳せていただければ幸いです。

 

さて、今年も僅かに新芽が萌え出はじめ、茶摘みの季節ももうすぐそこに近づいてきました。
5月に入ると、摘み籠を持った女性たちが次々と覆いで囲われた茶園の中へ消えていきます。
今年も孫右ヱ門の茶園は、茶摘み子たちの賑やかな声に包まれることでしょう。

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夏も近づく八十八夜

野にも山にも若葉が茂る

あれに見えるは茶摘みぢやないか

あかねだすきに菅(すげ)の笠

 

日和(ひより)つづきの今日このごろを

心のどかに摘みつつ歌ふ

摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ

摘まにゃ日本の茶にならぬ

「茶摘み」(文部省唱歌)

ひとびとvol.1 勤息義隆さん


2015年3月7日

コラム孫右ヱ門、第1回目は、孫右ヱ門に関わる人々をご紹介いたします。
毎回、編集担当が孫右ヱ門とお付き合いのある様々な人を訪れ、質問に答える形で、大いに語っていただきます。

様々な視点から見た孫右ヱ門、そして京都が見えてきます。
記念すべき一人目は…
勤息義隆さん( so design 代表 兼、浄土宗大恩寺 副住職)

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Q1.勤息さんについて教えて下さい。
苗字は勤息で「ごんそく」と読みます。
フリーランスでWeb制作や紙媒体の制作等をしておりまして、
地元企業、団体などのお仕事をさせていただいております。
街のWeb屋さんといったところでしょうか。

また、同時に家が大恩寺という浄土宗のお寺でして、現在副住職も務めております。

 

Q2.孫右ヱ門との出会いと関わりについて教えて下さい。

京都の知人の集まりで初めて出会いまして、2011年に孫右ヱ門さん最初のwebサイトを制作しました。

立ち上げ以来ずっとお付き合いを続けさせてもらって、
昨年はwebサイトのリニューアル制作もさせていただきました。

 

Q3.孫右ヱ門の新しいサイト制作にあたって、大変だったことなどありますか?

パッケージデザインにせよ、トップページのムービーにせよ、携わってる方がみんなビッグネームばかりで…。

でも、とにかくそんな方々に負けないように、という思いが強かったです。

また、孫右ヱ門さんは、他のクライアントさんと違って、
信頼して任せきってくださるというか、自由にさせてもらえたので、
自分がやりたいことを全面に押し出せて、本当に楽しくお仕事させてもらいました。
だから、今回の仕事は、自分のweb制作者としての集大成だと思っています。

 

Q4.京都の良いところって何ですか?
文化とか伝統といった土台がしっかりしていて、

それが誰にでも認知されている、ブランド力の大きい土地なので、

商いにせよ、デザインにせよ、京都で「なにか」をしているというメリットは大きいですね。
京都ならではの業種の方々と関われるというのも、おもしろいところです。
抹茶の孫右ヱ門さんも、そのうちのひとつです。

 

Q5.今後やりたいことはありますか?個人的なことでも結構です。
私は僧侶ですので、仏教をより多くの人に伝える布教活動を積極的に行っていきたいです。

今は仏教といえば、葬式や法事といった時ぐらいしか触れる機会がありません。
でも、普段「いただきます」という時に手を合わせますよね?
そんなふうに、普段の暮らしの中に根付いている仏教的思考に気付いてもらえるような、そんな発信を、webの力を最大限に活用して伝えていけたらと思っています。

仏教は硬いものではないし、もっと若い人に響くような仏教を伝えていきたいです。