コラム孫右ヱ門

お茶にまつわるモノ・コト・道具vol.9 摘み子、茶選り女、茶業の女たち


2016年4月23日

夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは茶摘みじゃないか
茜だすきに菅(すげ)の笠 
     
    (文部省唱歌「茶摘み」より)

「茶摘み」というとやはりこの文部省唱歌が思い浮かびます。
しかし、歌にあるような、なだらかな畦に「茜だすきに菅の笠」という摘み子たちの光景は、煎茶の茶園のことであり、抹茶の原料である碾茶の茶園で見ることはできません。
碾茶の茶園は、昔なら葦簀(よしず)や籠(こも)、現在なら寒冷紗と呼ばれる黒い化学繊維の布で覆われています。
茶摘みの季節には、朝早くから摘み子さんが集まって来て、次々と覆われた薄暗い茶園の中に姿を消してゆきます。
これが碾茶園の茶摘みの光景なのです。
茶摘み絵葉書1
茶摘み絵葉書2(茶業鳥瞰図絵葉書: 近代茶業調查研究資料より)

古来より茶摘みは女性の仕事でした。
室町時代に完成した労働歌集「田植草紙朝歌二番」には、

宇治や栂尾の茶ゑんを見ればな
しんばかたちていまよいさかり
露ばはろふてつむろう寺の新茶を
女子にこほんのはちかな茶摘ませう
新茶を露もこめて摘まいて…

という一節があるように、茶摘みはもうこの頃から女性の仕事であったことが分かります。

かつて摘み子の確保には「引き手」と呼ばれる雇用仲介者がいました。
「引き手」は摘み子の確保、摘み子の管理や采配、オーナーとの賃金交渉に至るまでを取り仕切る摘み子のリーダーのような役割を果たす女性のことを言います。
引き手さんには、人望があり、度胸がすわった女性が選ばれたようです。

毎年秋頃から正月を迎えるまでに、「引き手」が屋号や家名を染め抜きした手拭いを一筋配れば、次の年の茶摘みの契約成立となったのだそうです。
現在でも「引き手」がいる茶園は残っていますが、摘み子の確保は、チラシでの募集や職業安定所に依るところが大きくなりました。
写真のお茶摘さん募集チラシは、弊社の古い資料の中から見つけたものです。昭和40年頃のもののようです。
お茶摘みチラシ碾茶の製造それぞれの工程には、その作業の性質上自ずから男性を中心に行うものと、女性が中心となって行うものが生じます。
昔から茶園の施肥や茶棚組み、覆いをかける作業、焙炉場での乾燥作業などは男性の仕事とされ、茶摘みや茶選り(ちゃより)などは女性の作業とされてきました。

茶選りは焙炉師が乾燥した茶の葉と茎を選り分ける作業のことで、全て女性の肉眼と手作業で行われてきました。
そのため、昔は焙炉師の数十倍もの茶選り女を雇い、鳥の羽毛や竹箸を器用に使って茶の葉一枚一枚を手作業で選り分けていたのです。
「服部式電気茶選別機」が発明されてからは、葉と茎は機械で選り分けられるようになったので、茶選りの仕事は品評会への出品茶にその技術を使うだけになりました。
20150514-IMG_4673茶業の女性の仕事は、茶摘み、茶選りばかりではありません。
茶農家の家の女性は、休む暇なく茶業に従事してきました。

茶摘みのシーズンは特に忙しく、「とまりやまさん」(近郊から泊りがけで出稼ぎにくる摘み子や焙炉師)の食事の準備や、「お間水(おけんずい)」と呼ばれる摘み子たちの間食の準備。
「中山(なかやま)」と呼ばれる茶期の折り返しに当たる日や、「籠やぶり」という製茶の終わりの日のご馳走の準備など、短い期間と言えど、毎朝誰よりも早く起き、日に何度も大勢の食事作りをするのは大変な労働であったでしょう。
茶のシーズンが終わると、夏には田植や草引き、秋は稲刈り、冬にはよしず編みなど休む暇はありません。
20150416-IMG_3826 のコピー現在は、とまりやまさんもなく、お間水を出すことも少なくなりましたが、それでも摘み子さんや茶選りさんの采配に気を遣い、来年もまた来てもらえるよう気配りするのは苦労が多いのではないでしょうか。

今年もあと1週間ほどで茶摘みのシーズンを迎えます。
覆下の茶園は、日増しに新芽の甘い香りが増してきています。
20150430-IMG_4261 のコピー長年「引き手」を担ってきた先代のおかみさんは、茶摘みの初日摘み子さんの顔を見るまでは安心できぬと言います。
摘み子さんや茶選さん、その裏で世話をする茶農家の女性たちなくして、美味しいお茶はできません。
今年も覆下に摘み子さんたちの賑やかな声が響きますように、無事に「籠やぶり」をむかえられますように。
茶業に従事する女たちも、今、一年で一番忙しい時期への準備を進めています。

参考資料:「京都府茶業百年史」、「くらしの中で見る女性ー京都府宇治市を中心としてー」岡本カヨ子、「宇治地方の民謡」財団法人 宇治市文化財愛護協会、「田植草紙」

茶園の四季vol.2 「すあげ」と「わら振り」


2016年4月8日

孫右ヱ門の茶園がある木津川には桜づつみと呼ばれる美しい桜並木が続いています。
20150330-IMG_3570桜が満開を迎えた先週のこと、孫右ヱ門の茶園では、茶棚に葦簀(よしず)を広げる「すあげ」の作業を行いました。
冬の間に補修しておいた葦簀(よしず)を、茶棚の上に上げて広げていきます。
20150324-IMG_3084
20150324-IMG_3069この状態で遮光率は55~60%になります。
少し薄暗い日陰にいるような感じです。

「よしず下10日 わら下10日」と言われ、「すあげ」作業の約10日後に、広げた葦簀(よしず)の上に藁を振る「わら振り」という作業を行います。
茶棚のパイプの上に足をかけ、広げたよしずの上に手にした藁を振り落としていくという大変難しい作業です。
20150418-IMG_3897これで遮光率は95~98%になります。
覆下にいると随分暗いと感じます。
20150324-IMG_3078

こうして遮光をすることにより、茶の旨み成分であるテアニンが渋み成分であるカテキンに変化するのを抑えることができます。
それだけでなく、日光を遮ることで茶葉がより柔らかく、色も鮮やかな緑色になります。
そして、「覆い香(おおいか)」と呼ばれる独特の香りが生まれるのです。

しかし、そもそもどうして茶園を葦簀(よしず)や藁で覆うようになったのでしょうか?

鎌倉時代、中国の禅僧栄西が、現在の京都市右京区栂尾(とがのお)にある高山寺の僧明恵(みょうえ)上人に茶の種子を贈ったのは有名なお話ですね。
明恵上人はその種を栂尾に播いて茶を育て、修行のための眠気覚しとして周りの僧侶たちに勧めたと言われています。
栂尾は山間の地形で日照時間の短い場所であり、そこで育った日陰のお茶が良質だとされ「天下一の茶」ともてはやされました。

しかし南北朝時代には「宇治茶」が台頭するようになります。
栂尾茶に代わって、宇治茶が茶人の賞賛を得るようになったのは、気候の適否や生産量の多寡などの理由の他に、宇治茶師の努力と工夫に依るところが大きかったようです。

その創意工夫の一つが、どうやら茶園を葦簀(よしず)や藁で覆う覆下栽培だったようです。

茶園にたまたま筵(むしろ)が乗っており、その部分だけが霜が当たらず、良い新芽が出てきたという説もありますが、詳しいことは未だ定かではありません。

しかし、霜除けを目的として葦(よし)や筵(むしろ)を被せたことが始まりだということは確かです。
やがて日陰育ちの茶が良いと気づき、以後長年、茶師たちによる改良・工夫が重ねられた末に、霜害を防ぎ、強風から茶の新芽を守り、遮光率を人為的にコントロールできるという利点を持った現在の覆下栽培の形が出来上がっていったのではないでしょうか。

さて、来週辺りには、わら振りの作業が始まります。
わら振りが終わると、いよいよ一年で最も茶園が賑やかになる茶摘みの季節が始まります。

孫右ヱ門では、今年もお茶摘み体験ツアーを行います。
20150514-IMG_4789のコピー新茶の手摘み体験、製茶工場見学、挽き茶体験、摘んだばかりの新芽の天ぷらと旬菜の松花堂弁当、抹茶の点て方ワークショップなど盛りだくさんな内容でお届けします。

日時:5月15日(日)9:15(近鉄富野荘駅2番出口)集合 14:00 解散予定
詳しくは下記、孫右ヱ門Facebookページをご覧ください。
https://www.facebook.com/events/1584753485175570/

その他、松花堂弁当はつきませんが、お茶摘み体験、製茶工場見学、碾茶体験のみのツアーも別日程で予定しております。

詳細は孫右ヱ門Facebookページにて随時お知らせします。

希少な碾茶の手摘み体験、そして摘みたての新茶を味わえるのもこの季節だけの贅沢です。
ぜひ皆様のご参加をお待ちしております。

お問合せ:株式会社 孫右ヱ門 TEL:0774-52-3232  MAIL: info@magouemon.com 
     ※お電話でのお問合せは平日9:00~18:00の間でお願いします。