コラム孫右ヱ門
お茶に纏わるモノ・コト・道具vol.3 「宇治篩(うじぶるい)」と「ぼて」
2015年6月17日
全国茶品評会に出品する仕上げとして、荒茶の選別をする「お茶選り(おちゃより)」の作業もようやく終わりを迎えました。
「お茶選り」は、ピンセットで、色や外観の悪い碾茶をひとつひとつ取り除いていく、気の遠くなるような作業です。
そのお茶選りをする前に、竹製の篩(ふるい)を使って、選別しにくい細かな碾茶をふるい落とす「とおし」と呼ばれる作業をします。
そこで使うのが「宇治篩(うじぶるい)」と「ぼて」です。
直径約130cm、子どもがすっぽりと収まってしまうほどのこの大きな容器は何でしょう?
これは「ぼて」又は「ぼてこ」と呼ばれるものです。
「ぼて」は宇治篩でふるい落とした細かな葉を受ける受け皿として使います。
底面が六角形、縁が円形の竹で編んだ容器に渋紙を貼り合わせたものです。
「ぼて」は小豆を入れたり、米を入れたり、昔は農家でよく見られた生活道具のようですが、これほど大きな「ぼて」は、茶農家や茶問屋でしか見られないのではないでしょうか?
茶葉をふるう受け皿として使うため、茶葉が飛び散らないよう、このように大きな形をしているのです。
「宇治篩(うじぶるい)」は縁が藤で編み込まれ、網目が竹でつくられた篩(ふるい)です。
細かな茶葉をふるい落とすだけでなく、網面の上の茶葉を手のひらでこすり、砕いて均一な大きさ整えるためにも使います。
網面の竹ひごには、適度なしなりと強度を得るため、真竹や孟宗竹ではなく、淡竹(ハチク)が使われています。
写真をよくご覧ください。
網目の竹ひごの角が面取りしてあるのが分かるでしょうか?
実は、この細い竹ひごは、ひとつひとつ台形に面取りしてあるのです。
台形に面取りされた竹の網は、茶葉への当たりが柔らかいので、粉になりにくく、きれいに茶葉を砕くことができます。
金網の篩だと粉が多くなり、仕上がりの茶の色は白くなってしまいます。
現在は金網の篩が使われたりもしますが、やはり品評会に良質な碾茶を出品するためには、この竹製の篩が不可欠です。
以前は、京都府綴喜郡井出町多賀に一人、伝統的な宇治篩を作る職人さんがいたのですが、現在は残念ながら、宇治篩づくりのできる職人さんは一人もいなくなっていまいました。
孫右ヱ門では、同じく茶業を営んでいた親類から譲り受けたものを使っていましたが、昨年京都の横山竹材店さんに相談し、新たに宇治篩を作っていただきました。
(動画は「とおし」の作業です)
孫右ヱ門では、このような昔ながらの道具を大切に使いながら、できる限り手作業にこだわり、手間暇かけて伝統の味を守っています。
職人の手づくりによる道具の入手や修理が困難にはなってきましたが、横山竹材店さんのように、若い世代が伝統を受け継ぎ、文化を残してくださるのは有難いことです。
道具や材料も手に入りにくい時代ですが、その時代に見合った創意工夫を凝らし、次の世代に新たな伝統を繋げていかなければなりませんね。
ラジオ「孫右ヱ門の抹茶カフェ」アーカイブで横山竹材店さんの回をご覧いただけます。
お茶に纏わるモノ・コト・道具vol.2 碾茶炉と焙炉(ほいろ)じまい
2015年6月5日
今年の茶摘みも無事終わり、「焙炉(ほいろ)じまい」を行いました。
焙炉(ほいろ)じまいとは、製茶用乾燥炉の火を落とすこと、つまり製茶の終わることを言います。
製茶の終わった工場では、一年の役目を終えた機械や道具が、眠りに入ったようにしんと静まり返り、つい先日までの熱気が嘘のようです。
レンガ造りのクラシックな佇まい、孫右ヱ門の工場の中で一際存在感のある機械、それが碾茶炉(製茶の乾燥炉)です。
高さは約4m、幅は約15mほどもあります。
蒸した茶葉を風で吹き上げ、葉に付いた余分な蒸し露を除去しながら冷却したのち、この碾茶炉で乾燥します。
碾茶炉は茶葉を乾燥させるだけでなく、適度な加熱香気を生成し、香味の調和をとる役割もあります。
碾茶炉の中は、一般的に上下二つの乾燥室に分かれています。
上段、中段、下段に設置されたベルトコンベアに散布した茶葉が、約15mのトンネル状の室を通る間に乾燥するしくみです。
クラシックなレンガ造りなのは、炉内が200℃を超える高温となるので、耐熱性を考慮したためです。またレンガにより保温性を高くするという目的もあります。
碾茶炉での乾燥工程では、乾燥の度合いによって、外観の色や、香り、味が変わってくるため、都度茶葉を手に取り、色や匂いを確かめ機械を調整します。
手応えなく柔らかい感触なら、乾燥不足のためコンベアの速度を調節し、乾燥時間を延ばします。
乾燥していても黒みや焦げ臭を感じるときは、反対に乾燥時間を短くします。
少しの気温や天気の変化で、仕上がりが変わってくるため、その都度五感を働かせ、微調整をしなければなりません。
この炉の調整には熟練の感を必要とします。
碾茶炉の仕組みは、生産家によって様々です。
品評会を狙うような生産家では、理想の仕上がりになるよう、それぞれ独自に機械をカスタマイズしています。
そのため、全く同じ機械というのはないかもしれません。
孫右ヱ門の工場でも、毎年、製茶機械の職人さんに頼んで微調整をしてもらっています。
先代、先々代は製茶機械の職人さんとともに、碾茶製造に欠かせないマイコン型バーナー、自動投入機などの開発に関わり、茶業界に貢献をしてきました。
こうして、毎年質の高い碾茶が仕上がるのは、先人たちの知恵と丁寧なモノづくりの心が詰まっているからです。
孫右ヱ門の碾茶炉は、今年も休むことなく、約1ヶ月間フル回転で頑張ってくれました。
本年のお役はこれで終わりましたが、先の時代も質の高い碾茶を作り続けるため、知恵を注ぎ、これからも大切にしていきたいです。
ひとびとvol.3 藤井忠さん
2015年5月16日
今回は、孫右ヱ門と深い関わりがあり、世界を駆け巡る料理人兼イベンター、茶道師範など様々な顔を持つ若き料理人、藤井忠さんをご紹介します。
藤井 忠さん(フリーランス料理人、茶道裏千家師範、華道嵯峨御流師範)
Q1.孫右ヱ門との関わりを教えて下さい。
孫右ヱ門とは、4年前に京都の知人の集まりで出会いました。
そして、2013年に僕が代表を務めるYUIの活動の一環として、イギリスでのイベントにお誘いし、ほんず抹茶を提供していただきました。
その翌年には、フランス、モナコ、チェコでのイベントを一緒に行いました。
僕は昨年まで、半年をモナコ、残りの半年を日本で過ごすという生活をしていて、2年前から日本にいる間、時々、孫右ヱ門の茶園のお手伝いをさせていただいています。
Q2.孫右ヱ門で茶の生産に携わろうと思われたのはなぜですか?
僕は料理人ですから、美味しい野菜がどのようにして作られるのか関心を持っています。
土から野菜ができるのと同じで、もちろん茶も土からできます。
おいしいお茶がどのようにして作られるのか、そこに携わることで肌身で知ることができると思ったからです。
はじめて茶園で「藁振り」の作業を手伝わせてもらった時は、不安定な足場に立つのが怖くて怖くて。藁振り作業は今年で3回目ですけど、ようやく慣れてきましたね。
最高級の抹茶を作るのが大変な作業なのだと、日々肌身で感じています。
Q3.孫右ヱ門六代目と様々な場面で一緒にお仕事をしていただいていますが、藤井さんから見た六代目はどんな人ですか?
素直で素朴で天然(笑)
でも、茶の生産へのこだわりは凄いです。昔ながらの製法を守っていく意識の高さには凄いものを感じます。
熱い思いのある仕事を一緒にさせていただいて、魂が鼓舞されますね。
Q4.孫右ヱ門の「ほんず抹茶」を飲んだ感想は?
僕は長年茶道に携わってきましたが、こんなおいしい抹茶を口にしたのは初めてでした。一番上級に位置する「ほんず抹茶」が、お茶の質を見極めるバロメーターとなりました。
Q5.海外で日本文化を広める活動をするYUIですが、そのような活動をしようと思ったきっかけは何ですか?
世界では、漫画、アニメやコスプレなど、日本のPOP cultureは普及しています。
でも、日本の伝統技術、文化、継承が危ぶまれている中、世界で活躍する日本人や日本の伝統技術・文化を世界に伝えようとする職人達とコラボレーションして、世界に”ほんまもん(本物)”の日本の伝統を伝えていきたいと考えたからです。
Q6.藤井さんは料理人である他に、茶道裏千家師範、華道嵯峨御流師範をお持ちですが、茶道や華道に携わるきっかけは何だったのですか?
僕は17歳で単身モナコに行きました。海外で過ごしていると、外国人から日本の文化について聞かれることが多々あります。日本の文化について聞かれてもまともに答えられなくて、歯がゆい思いをたくさんしました。
それが、茶道や華道を始めたきっかけです。
和食が無形文化遺産になり、日本もグローバル化しつつあるなか、日本人が日本の事を知らないということは多々あると思います。グローバル化することは、今後の日本成長に向けて重要な事ですが、同時に、日本を知る事も忘れてはいけないと常に思っています。
Q7.藤井さんの2015年はどのようなものになりますか?
料理、茶道の両方で、孫右ヱ門とコラボレーションし、イベントを展開していく予定です。
まずは5月10日、5月17日の孫右ヱ門Presents.お茶摘み体験ツアーにて、松花堂弁当「富貴の春」を担当しています。そして現在は、京都嵐山の高級ホテルで孫右ヱ門とのコラボレーションイベントを考えています。今後を楽しみにしていてください。
Q8.藤井さんの将来の野望を教えてください。
まず茶道家としてですが、茶道の精神、本質は曲げないで、新しい見せ方をしていきたいです。
茶道には細かな決まりがあります。例えば、夜咄は本当は冬限定のものであるとか。
そういった決まりや垣根を取り払って、もっと驚きやユーモアを織り交ぜた新しい見せ方をしていきたいです。
料理人としては、今はフリーで茶懐石や寿司懐石などのケータリングを行っているんですが、将来は京都の山奥でひっそりと、外国人相手にお料理を振る舞うお店をやりたいですね。もちろん茶室も作りますよ。
お料理を食べて、お茶も楽しんでもらえる、そんなお店をやりたいですね。
多才な若き料理人、藤井忠さんの今後が楽しみです。
<藤井忠さんプロフィール>
15 歳で東京の広尾にある寿司屋で修行。
二年半の修行を経て、18 歳で単身渡仏、モナコで老舗の日本食レストランLe Fuji で6 年間学び、和食を本格的に学ぶため、日本に帰国。
大阪ヒルトンプラザウエストホテルの日本料理店で働く。
モナコへ戻り、副料理長として働く。
2013年、日本の伝統文化を海外で広めるために、日本の職人たちを集め団体YUIを結成。代表を務める。
同年、イギリスの高級ホテルにて、Japan Festivalの企画を立ち上げる。
ブルネイ皇族関係者に高級抹茶懐石を、原尻料理長と共に振る舞う。
同年、ロンドンのチェルシーにある、高級会員制クラブで開催された震災charityイベントで、お寿司を提供。
日本では茶懐石をメインとした出張料理人。
料理人の顔だけではなく、趣味の域をこえて、華道、茶道にも精通し,モナコの日本庭園で茶道を披露。
茶道裏千家師範、華道嵯峨御流師範を持つ。
歳時記vol.2. 茶摘みがはじまりました
2015年5月1日
地元の氏神様である水主神社の西側に、当社の茶園の一画があります。
5月1日、よく晴れて空気が少しひんやりとした朝。
午前6時を過ぎると、自転車や軽自動車に乗って、近隣から続々と茶園に人が集まってきました。
「いやぁ、元気しとった?」
「今年も顔見れてよかったわぁ!」
一年ぶりに顔を合わす摘み子さんたちの声で、辺りはにわかに賑わいました。
覆いで囲った茶園に足を踏み込むと、ふわぁっと甘い薫りに包まれます。
いよいよ今日から茶摘みがはじまります。
茶摘みがはじまった今日、当社が位置する城陽市内の小学校では、「八十八夜献立」ということで、碾茶(てんちゃ)を使った「茶めし」と「茶葉のローストチキン」が出るそうです。
さすが茶どころですね。
さて、今年も本格的に茶のシーズンが始まりました。
今年はどんなお茶ができ上がるのか、楽しみにしていてください。
(碾茶てんちゃ…石臼で引き上げる前の、抹茶の原料となる原葉)
ひとびとvol.2 茶摘み師 太田淑子
2015年4月16日
コラム孫右ヱ門テーマ、今回は孫右ヱ門に関わる人々です。
編集担当が孫右ヱ門と関わりのある様々な人々を訪れ、大いに語ってもらいます。
今回は、六代目孫右ヱ門の母であり、茶摘み師の太田淑子をご紹介します。
茶農家の嫁として、また茶摘み師として、その人生を語ってもらいました。
太田淑子(孫右ヱ門 茶摘み師)
会う度「いつもご苦労さんでございます」と腰低く、笑顔で出迎えてくれる「孫右ヱ門のおかみさん」こと太田淑子さん。
今日も約束の時間に茶畑に行くと、いつもと変わらない笑顔で、頭を深々と下げ「ご苦労さんでございます」と出迎えてくれました。
太田淑子は京都市大原野の善峰寺近く、水稲とたけのこの農家に生まれました。
昭和42年、五代目孫右ヱ門、太田文雄に嫁ぎ、茶農家の嫁となりました。
<茶農家に嫁いで…>
太田淑子:嫁入り当時大変やったんは、とにかく人の世話です。
昔は、お茶の時期になると、茶摘み子さんや男の人が宇治や奈良、遠くは姫路から手伝いにきてました。
そのほとんどが泊り込みで、その20人程の世話と、家族8人の世話が義母と私の仕事でした。
雨で畑仕事がなくても、3度の食事の世話はせんならん。
毎回、給食みたいな食事の量でした。
宇治からの茶摘み子さんで、泊りでない人らの送り迎えをすることもありました。
朝4時に起きて摘み子さんを迎えに行って、夕方6時になったら送っていく。
その間に泊り山の食事の準備や家事を済ませました。
昔はケンズイ(食事の合間に出す間食のこと)のおにぎりもぎょうさん(たくさん)作ったもんです。
編集担当:嫁入り当時は、畑へは入らず、専ら人の世話に明け暮れたそうです。
茶の仕事に係わるようになったのは、子どもの手が離れてから。
覆下の骨組や杭打ちなどの力仕事もこなし、施肥や草曳き、防除のホーズ持ちなど、五代目孫右ヱ門の茶づくりを支えてきました。
木津川が氾濫した時には、夫と共に、胸まで水に浸かりながら茶木の上の流木を片付けたこともあったとか。
冬場は義母に教わりながら、菰編み、藁編みもしたそうです。
そして、5月~6月の茶摘みのシーズンには、摘み子さんの取りまとめという重要な役割があります。
現在、孫右ヱ門の茶園では、総勢約80名の摘み子さんがいます。
そんな摘み子さんを取りまとめるのは、今も昔も変わらず、茶農家の嫁の役割なのです。
<お茶摘みの仕事について>
太田淑子:お茶摘みは、人の采配が大変です。
摘み子の取りまとめを任されるようになってすぐは、年配の摘み子さんに気を使ったもんです。
気を使って、摘み方の注文もでけへん(できない)こともありました。
とにかく、茶園の中では、摘み子さん同士仲良くしてもらうのが一番です。
摘み子は殆どが女ですから、いざこざもあるんです。
来てくださる摘み子さんそれぞれにこまめに声かけて、あまり摘めてない人がいたら、足して入れてあげたりもしてます。
茶摘みにきて、楽しかったと言うて、また来年も来ようと思ってもらえるように気を配ってます。
茶園の中では、摘みながら色んな場所で色んな話が飛び交っててほんまに賑やか。
摘み子さんの中には、お料理やお花や茶道の先生もいた時があって、みんなそれぞれ知恵の交換をして楽しかったのを覚えてます。
抹茶の品質の要は、まず「摘むこと」にあります。
製茶工場に持ち込まれる一芽一葉が、どのように摘まれたかが重要になってきます。
その「摘む」ことを担ってきたのが、「摘み子さん」です。
その摘み子さんを取りまとめ、世話をしてきたのが茶農家の嫁なのです。
現在では、熟練の摘み子さんも高齢化し、摘み子の確保が難しくなってきています。
おかみさんは、毎年摘み子さんが集まるかどうかがいつも頭の中にあるそうで、「お茶摘みが始まって摘み子さんの顔を見るまでは安心できない」と話します。
<茶の仕事の苦労について>
太田淑子:取材なんかで「苦」は何ですか?と聞かれますけど、「苦」と思ったことはないです。
茶農家に嫁いだ以上、力仕事でも何でも、言われたことはしていかんならん(していかなければ)と思ってやってきました。
何でもしていかんと茶はできないから。
<茶の仕事で一番嬉しい瞬間は?>
太田淑子:やっぱりそれは、製造が終わって、美味しい味のお茶ができた時です。
ええ旬にとれたお茶は、ほんまに美味しい。
それと、茶摘みが始まって、茶園に入ったとき。
覆下の茶園に入った瞬間に、お茶の甘いええ匂いがするんです。
寒冷紗よりも「ほんず」の方が、ええ匂いがする。
ああ、今年も新芽のいい匂いがしてきたなぁと思うときが一番嬉しいかな。
編集担当:そう言って、濃緑色の茶園の光景を思い浮かべているのか、嬉しそうな顔をするおかみさんに、ああこの人は真の茶人なのだと思いました。
茶道など文化面においては、多くの女性が華やかな和服に身を包み、美しい佇まいで、非日常的空間を見事に演出しています。
しかし茶道においては、所作や規矩に重きが置かれ、その場で供される抹茶について、味、香り、色合い、またどのようにして作られたのか、生産や加工については特別な関心を払われる方が少ないように感じます。
今回、茶農家の嫁としての太田淑子を紹介させていただいたのは、こうして土と共に生き、泥まみれになって茶を育てている女性が京都の茶を支えていることを、多くの方に知っていただきたかったからです。
太田淑子をはじめ、京都の茶業に関わった女性達の生き様をまとめた本がこの度出版されました。
「京の茶を支えた女人たち」杉本 則雄 著
茶摘みの歌にも「摘まにゃ日本の茶にならぬ」とあるように、多くの摘み子さんやその裏で世話をする茶農家の女たちなくして、茶はできないのです。
このコラムを読んでくださった方々が、どこかで抹茶を口にする時、そんな女性たちに思いを馳せていただければ幸いです。
さて、今年も僅かに新芽が萌え出はじめ、茶摘みの季節ももうすぐそこに近づいてきました。
5月に入ると、摘み籠を持った女性たちが次々と覆いで囲われた茶園の中へ消えていきます。
今年も孫右ヱ門の茶園は、茶摘み子たちの賑やかな声に包まれることでしょう。
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは茶摘みぢやないか
あかねだすきに菅(すげ)の笠
日和(ひより)つづきの今日このごろを
心のどかに摘みつつ歌ふ
摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ
摘まにゃ日本の茶にならぬ
「茶摘み」(文部省唱歌)
歳時記vol.1 木津川と「桜づつみ」
2015年4月3日
今回は当社の茶園があります、木津川の堤をご紹介したいと思います。
わたくし編集担当、いつもは河川敷の茶園におりますが、今日はてくてくと堤防沿いを歩いてみることにしました。
木津川は三重県の青山高原を源に、名張川から木津川となって城陽市の西端をゆったりと流れる一級河川です。
木津川の堤防沿いは「市民の憩いの場に」と堤防約6.5kmのうち6地区に桜や梅、ユキヤナギなど様々な植物が植えられています。
中でも桜のトンネル「桜づつみ」は見ものです。
今、この「桜づつみ」では、ちょうど桜が満開を迎えています。
のんびりと散歩をする人、桜の下でお弁当を食べる人など、それぞれお花見を楽しむ姿が見られます。
青空の下、満開の桜のトンネルを春風が吹き抜けると、とても清々しい気持ちになります。
ふと足元を見ると、ツクシも生えていましたよ。
他にもゆっくり探せば色々な野草が見つかりそうです。
「桜づつみ」から堤防を挟んで反対側には、茶園が広がっています。
茶園を通り越して、川へ降りてみました。
河川敷はまるで海の砂浜のようです。砂浜のように見えるのは、木津川一帯の土壌が砂質だからです。
水もきれいなんですよ。
茶業を営む私たちにとって、木津川はなくてはならないものです。
歴史をさかのぼると、木津川は幾度も恐ろしい水害をもたらしました。
しかし、水害は同時に肥沃な土壌という大いなる恵みも与えてくれました。
水はけの良い砂質土と、幾度の洪水によりもたらされた肥沃な土壌のおかげで、色鮮やかで美味しい抹茶を作ることができるのです。
こうして、水辺の砂地で作られたお茶のことを「浜茶」と呼びます。
浜茶は、山間部で栽培される「山茶」に比べ、緑色が濃く、鮮やかになります。
さて、木津川散策の締めは、「浜茶」で野点(のだて)です。
野点といっても、毛氈を引いたり、野点傘を立てたりしませんよ。
編集担当おすすめの「野点(のだて)ピクニック」です。
キャンプ用などのプラスチックのお椀とティースプーン、茶筅と抹茶、お水とお湯があれば、もう準備万端です。
あとは、抹茶のお供にお菓子があれば、なお良しです。
今日のお菓子は、もちろん桜餅。
満開の桜の下で抹茶なんて、贅沢でしょう?
これからの季節、アウトドアで抹茶「野点ピクニック」はいかがですか?
木津川桜づつみへは、近鉄京都線富野荘駅から徒歩10分、近鉄京都線寺田駅から徒歩26分、JR奈良線長池駅から徒歩26分
詳しくは、こちらの地図をご覧ください。
お茶に纏わるモノ・コト・道具vol.1 「よしず」とヨシ原のお話
2015年3月19日
今回は、弊社の「ほんず製法」には欠かせない道具、「よしず」の原料となる葦(あし)の草原、ヨシ原のお話です。
「ほんず製法」とは、一般的な化学繊維で茶畑を覆う方法とは違い、「よしず」と「わら」で日光を遮る伝統的製法のひとつです。
わら振りという技術の難しさや、よしずの入手が困難となってきたことにより、現在では弊社を含め、全国でもこの製法を行う農家は数件となりました。
「よしず」と「わら」の折り重なる層が、絶妙に日光を遮るので、柔らかく色鮮やかな茶葉が育ちます。
今年も茶棚に「よしず」を上げる季節が近づいてきました。
茶棚に上げる「よしず」は毎年全て新しいものに取り替えるのではなく、悪くなった部分だけよしずの原料となる葦(アシ)を買い足し、編んで補修をします。
弊社では、京都市伏見区の宇治川沿いにあるヨシ原の葦(アシ)を使用しています。
<ここで補足ですが、葦(アシ)は関西ではヨシと呼び、ヨシでできた製品を「よしず」と呼びます。葦もヨシも全く同じイネ科ヨシ属の多年草ですが、一般的に関西では「ヨシ」と呼ばれています。「あし」が「悪し」に通じるのを忌んで、その反対語の「よし」「善し」と言い換えたのが定着したと言われています。>
コラムでは、以後ヨシと表記します。
京都市伏見区、宇治川河川敷一帯にヨシ原はあります。
背の高いものでは4mにもなるヨシが一面に生えています。
このヨシ原の管理者で、山城萱葺株式会社(http://www.yamashiro-kayabuki.co.jp)の代表、山田雅史さんにお話を伺いました。
編集担当:ヨシ原はどのくらいの広さがあるんですか?
山田さん:35ヘクタールほどです。
編集担当:このヨシ原は古くから管理されているのですか?
山田さん:
分かっているだけで、私で五代目になります。古くからこの地域のヨシは質が良いので、ヨシで生計を立てている人が多かったんです。
でも茅葺屋根が減り、中国から安価なよしずが入ってきて、ヨシの需要が減ってしまいました。
ですから、今では京都でヨシ屋をやっているのはうちだけになってしまいました。
元々はヨシを刈って茅葺職人さんなどに売っていましたが、茅葺のお得意さんもどんどん減って、残った職人さんも高齢化していく中、ヨシを売るだけではなく、自分で使わなければこのヨシ原は守れないと思いました。
それで、建築の勉強をしていた私は、自ら茅葺職人になりました。
編集担当:山田さんのヨシ原では、ヨシは主にどんな用途に使われているのですか?
山田さん:
「よしず」としては、現在はほとんど取引がありません。
中国から安い「よしず」が入ってきましたからね。
今は、ほとんどのヨシは茅葺屋根に使っています。文化財や重要建造物の屋根の葺き替え、補修も多いですね。
あとは、「ヨシ紙」です。
祇園祭といえば「うちわ」ですけど、昨年、四条烏丸や烏丸御池で配られていた「うちわ」は、このヨシ原のヨシで作った紙が使われてたんですよ。
編集担当:中国産と国産の「よしず」はどのように違うのでしょうか?
山田さん:
国産のヨシは皮が薄いので、虫がつきにくいんです。繊維質も多くて弾力があるので、割れにくくて長持ちします。
また、中国の「よしず」は麻で編むのに対して、国産のはシュロ縄で編みます。
シュロ縄の方が耐久性が良いんです。
編集担当:ヨシ原の管理とは、具体的にどのようなことをするのですか?
山田さん:
2月にヨシを刈って、その後、残ったヨシを倒して3月に火入れをします。
火入れをしてヨシ原を焼くことで、虫や他の雑草をきれいに除去できるんです。
そうすると、次の年にまた健康で良いヨシが生えてくるんです。
ヨシ原は人間が手を入れてあげないと、荒れて藪になってしまいます。
ヨシ原の保全という意味では、ヨシ焼きは欠かせないんです。
編集担当:この広いヨシ原を焼くのは大変ですね。
山田さん:
はい。
実は、そのヨシ焼きなんですが、4年前に一度禁止されてしまったんです。
2010年3月に、ヨシ焼きの煙で国道が一時通行止めになってしまいました。
それが廃棄物処理法の野焼きに当たるということで、禁止されてしまったんですよ。
編集担当:ヨシ焼きができなければ、茅葺の資材が取れないということですね。
山田さんの会社にとっても、ヨシ原の維持という面でも大変なことですね!
山田さん:
そうなんです。
でも、伏見の自然や歴史を受け継ぐ活動をしている市民団体が、ヨシ原保全のためのヨシ焼きの重要性を訴える活動を起こしてくださいました。
そんな市民団体の方々と協力しあって、2年前に無事ヨシ焼きを新たにスタートさせることができました。
このヨシ原は、西日本一の「ツバメのねぐら」 でもあります。
毎年数万羽ものツバメがやってきて、大陸へ渡るために飛ぶ練習をする様子が見られるんですよ。
そんな野鳥の宝庫でもあるヨシ原の生態系維持のためにも、ヨシ焼きは欠かせません。
そんな訴えを受けて、市は、ヨシ焼きを「河川管理に必要な廃棄物の焼却」として認めてくださいました。
そして新たに「新生ヨシ焼き」をスタートすることができたのです。
編集担当:では、今年で「新生ヨシ焼き」3年目なんですね?ヨシ焼きはいつ頃行われるのですか?
山田さん:
今年は3/9~25日の間の5日間程度、午前5時半から午前10時ごろの間に行います。
風が強い日はヨシ焼きは行えません。また、燃え広がらないよう、夜露が降りて水分を適度に保った午前中に行います。
2010年のようになってしまったら、もう二度とヨシ焼きを行えなくなりますからね。
お話を伺った数日後、ヨシ焼きの現場を撮影するために、再びヨシ原を訪れました。
山田さんを含めた数人の職人さんたちが、火を入れては、都度消して回っておられました。
広いヨシ原を少しずつ、少しずつ、細心の注意を払って慎重に焼いている様子に、
長い間続けてきたヨシ原と人との関わりをずっと残していきたい、未来へ繋いでいきたいという山田さんの思いを感じました。
弊社のほんず製法や手摘みも山田さんの茅葺も同じ、時代とともに減少の一途をたどっています。
しかし、完全に途絶えさせてしまっては、再生するのは非常に難しいものです。
どうにか文化を維持し、未来へ繋いでいきたいですね。
今回お世話になった山城萱葺株式会社では、ヨシや茅葺について知ることのできる様々な情報発信やイベントを行っておられます。
詳しくは、山城萱葺株式会社ホームページまたはFacebookページをご覧ください。
http://www.yamashiro-kayabuki.co.jp
ひとびとvol.1 勤息義隆さん
2015年3月7日
コラム孫右ヱ門、第1回目は、孫右ヱ門に関わる人々をご紹介いたします。
毎回、編集担当が孫右ヱ門とお付き合いのある様々な人を訪れ、質問に答える形で、大いに語っていただきます。
様々な視点から見た孫右ヱ門、そして京都が見えてきます。
記念すべき一人目は…
勤息義隆さん( so design 代表 兼、浄土宗大恩寺 副住職)
Q1.勤息さんについて教えて下さい。
苗字は勤息で「ごんそく」と読みます。
フリーランスでWeb制作や紙媒体の制作等をしておりまして、
地元企業、団体などのお仕事をさせていただいております。
街のWeb屋さんといったところでしょうか。
また、同時に家が大恩寺という浄土宗のお寺でして、現在副住職も務めております。
Q2.孫右ヱ門との出会いと関わりについて教えて下さい。
京都の知人の集まりで初めて出会いまして、2011年に孫右ヱ門さん最初のwebサイトを制作しました。
立ち上げ以来ずっとお付き合いを続けさせてもらって、
昨年はwebサイトのリニューアル制作もさせていただきました。
Q3.孫右ヱ門の新しいサイト制作にあたって、大変だったことなどありますか?
パッケージデザインにせよ、トップページのムービーにせよ、携わってる方がみんなビッグネームばかりで…。
でも、とにかくそんな方々に負けないように、という思いが強かったです。
また、孫右ヱ門さんは、他のクライアントさんと違って、
信頼して任せきってくださるというか、自由にさせてもらえたので、
自分がやりたいことを全面に押し出せて、本当に楽しくお仕事させてもらいました。
だから、今回の仕事は、自分のweb制作者としての集大成だと思っています。
Q4.京都の良いところって何ですか?
文化とか伝統といった土台がしっかりしていて、
それが誰にでも認知されている、ブランド力の大きい土地なので、
商いにせよ、デザインにせよ、京都で「なにか」をしているというメリットは大きいですね。
京都ならではの業種の方々と関われるというのも、おもしろいところです。
抹茶の孫右ヱ門さんも、そのうちのひとつです。
Q5.今後やりたいことはありますか?個人的なことでも結構です。
私は僧侶ですので、仏教をより多くの人に伝える布教活動を積極的に行っていきたいです。
今は仏教といえば、葬式や法事といった時ぐらいしか触れる機会がありません。
でも、普段「いただきます」という時に手を合わせますよね?
そんなふうに、普段の暮らしの中に根付いている仏教的思考に気付いてもらえるような、そんな発信を、webの力を最大限に活用して伝えていけたらと思っています。
仏教は硬いものではないし、もっと若い人に響くような仏教を伝えていきたいです。
コラム孫右ヱ門はじまります
2015年3月5日
このコラム孫右ヱ門では、定期的に様々な記事を掲載していきます。
・四季折々の茶園や生産の風景、孫右ヱ門が所在する城陽や京都の歳時記
・孫右ヱ門に関わるひとびと
・お茶に纏わるモノや道具
この3つをテーマにこれからご紹介してまいります。
毎月第1週目と3週目に更新します。
お茶摘みのはじまる八十八夜(立春から数えて88日目の5月2日)頃からは、
もう少し頻度を上げて様々なご紹介をしていく予定です。
ここでしか知ることのできない、お茶や京都の背景にある「ものがたり」を、
ぜひお楽しみください。