コラム孫右ヱ門

お茶に纏わるモノ・コト・道具vol.6 茶筅(ちゃせん)


2015年11月21日

棗や茶杓がなくても、茶筅と茶碗、それにお湯さえあれば抹茶が点てられます。
しかし、茶筅がなくては美味しい抹茶は点てられません。

今回はそんな抹茶を点てる必需品「茶筅」のお話です。

国産の茶筅生産のおよそ90%を占める、奈良県生駒市の北端にある高山町。
茶筅のことを知るため、高山町にある高山竹林園を訪れてみました。
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高山竹林園
約50種の標本竹からなる竹林園と、地場産業である茶筅や茶道具、その他竹製品に関する資料館がある施設です。

それではまず、茶筅の歴史について探っていきましょう。

世界で初めて茶筅がつくられたのは、室町中期のこと。

その頃、高山は鷹山村と呼ばれ、鷹山氏が支配する1万8千石の村でした。

この鷹山城主の次男、宗砌(そうぜい)は、連歌や和歌を通して、侘び茶(茶の湯)の創設者として有名な村田珠光と親しい間柄であったそうです。

珠光が初めて茶の葉を粉末にして飲む茶道を考案した時、なんとか茶をかき混ぜる道具はないものかと、鷹山の宗砌(そうぜい)に道具の制作を依頼しました。
宗砌(そうぜい)は、苦心を重ねて茶筅を作り上げました。

これが茶筅の始まりです。

茶筅ができるまでは、さじ(スプーン)で混ぜていたそうですよ。

宗砌(そうぜい)が製作した茶筅は、ときの御土御門天皇に献上され、天皇は、その繊細な作りと着想に感動し、「高穂(たかほ)」の御銘を授けたということです。
これを機に宗砌(そうぜい)は、茶筅づくりに力を入れ、その製法を鷹山家の秘伝としました。

その後、御銘「高穂茶筅」は有名となり、高穂にちなんで地名を高山と改めました。

高山城がなき後も、茶筅づくりを許された家臣16名により、秘伝の製法は固く守られ、「一子相伝の技」として500年もの間、その技術は受け継がれていきました。

時が流れて昭和に入っても、秘伝は固く守られてきましたが、戦時を迎え、人不足により、この伝承は崩れ、秘伝とされてきた技術も一般に公開されるようになったそうです。

現在、高山では、茶筌をつくる職人は20軒ほど。
茶筅は機械でつくることができず、現在でもその工程は全て手作業で、小刀等を用いて行います。

実際に作業工程を見せていただいたのでご紹介します。

1、原竹(げんちく)、コロ切り
竹内部の水分が最も少なくなる冬、生えてから2、3年の竹を切り出し、煮沸して油や垢を除きます。
その後、最も寒さが厳しくなる1月頃から約1ヶ月間、天日に晒します。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA竹が白くなると取り入れ、その後2~3年ほど熟成させてようやく茶筅の材料となります。
この竹を節を挟むように切り、円筒形の「コロ」にします。

使われる竹の種類としては、淡竹(白竹)、青竹、黒竹、煤竹(すすだけ)の4種類のみ。
煤竹は表千家が主に使用しますが、古民家の屋根に使用されて自然に煤がついたものを使うそうで、年々入手困難になってきています。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA写真左の竹は雲紋竹(うんもんちく)といって、雲の様な模様がもともと入った種類の竹で、今回作業を見せてくださった谷村丹後さんオリジナルのものです。

2.皮むき、大割り(おおわり)、片木(へぎ)
節の上半分くらいから先端にかけて、一番外側の表皮だけを薄く削ります。(皮むき)OLYMPUS DIGITAL CAMERA
大割包丁で竹を等分に割っていきます。
割方は竹の太さや、作る穂数によって12~24等分にします。(大割り)OLYMPUS DIGITAL CAMERA
これを1片ずつ外側にこじ開けます。
茶筅の抹茶を混ぜる部分は表皮だけを使うので、小刀で皮と身に分け、身を取り除いていきます。(片木)
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3.小割り(こわり)
大割り(おおわり)で分割した一片一片を、さらに大小交互の大きさに割っていきます。
大小のはおよそ6:4の太さの比率になっています。
大きい方は茶筅の外穂、小さい方は内穂になります。
OLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERA実演では、台にカミソリの刃をつけた道具を使われていましたが、道具は職人によってまちまちで、この日の職人さんは、もっと原始的な方法で割っていますとのこと。
その方法は、やはり秘伝なのだそうです。

4.味削り(あじけずり)
穂先の部分を湯に浸し、穂の内側を根元から先になるほど細くなるように削ります。
適当な薄さに削れたら、次は内側に丸くなるようにしごいて形をつけます。
削り方は茶筅のたちによって違い、この味削りによってお茶の味が変わると言われるほど、最も神経を使う難しい工程なのだそうです。
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5.面取り
削り上がった茶筅の外穂になる両角を薄く削って面取りします。
角を取るのは、抹茶を点てる時、お茶が付着しにくいようにするためです。
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6.下編み、上編み
面取りした外穂をおりあげ、糸で編んでいきます。下編みで穂を広げ、上編みで穂の根元がしっかりするよう固定します。
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面取りや下編み、上編みの作業は代々女の人の仕事とされてきたそうです。
この日は、秋の紅葉にちなんで、オレンジと黄色の糸で編まれていました。
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クリスマスには赤と緑の編み糸、海外からは国旗の色でといった注文も入るそうです。
色紐の茶筅は、正式なお茶会では使えませんが、自宅でお茶を愉しむときには、この様な可愛いマイ茶筅があると嬉しいですね。

7.腰並べ(こしならべ)
内穂を中心へ向かって寄せて組み合わせ、茶筅の大きさを決め、根元の高さと間隔を揃えます。

8.仕立て
穂先の乱れを直し、形を整え、穂先までの高さ、間隔を均等に整えます。
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海外製の安価な茶筅がたくさん手に入る時代になりましたが、形だけ真似して作っても、仕上がりには雲泥の差があると職人さんは言います。
「私たちはそれぞれ手に取った竹の性質を把握した上で、一本ずつ、ほとんど小刀と指先だけを使って作ります。海外のはヤスリで削ってあるから、穂先に細かい傷が残って折れやすいんです。それにそれぞれの竹の性質も見ていない。」

材料となる竹ひとつとっても、切り出す段階から厳選し、良い仕事ができる材料になるまでに何年もの歳月をかけて仕込んで行きます。
そして、流れ作業で大量に作るのと、一本一本竹の加減を見て、お茶を点てる人を想いながら丹念に仕上げるのでは全く違います。

茶筅はその用途から消耗品に扱われがちですが、こうして手作業により丁寧につくられた茶筅は、穂先一本一本、先の先まで神経が行き届いて、繊細でため息が出るほど美しい形の芸術作品と言えます。
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最後に、お庭を眺めながら、高山茶筅でお茶を一服いただきました。
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自前の茶筅より泡が随分とキメ細かい。
実際に使ってみて、その違いに驚きました。
ブレンダーでも抹茶は点てられますが、茶碗を傷めてしまいます。
柔らかくしなる竹という材質は、茶碗を傷めないという意味でも、大変理に適っているのです。
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お茶を愉しむ時間をより豊かなものにするためにも、美しい高山茶筅をマイ茶筅にいかがでしょうか?

茶園の四季vol.1 お茶の花


2015年11月6日

今回は「茶園の四季」
秋の茶園の様子をご紹介します。

「お茶の花」をご存知ですか?
お茶の花と言っても、お茶席に飾る花のことではありません。
茶の樹に咲く花のことです。

茶園というと、青々とした葉っぱが広がる様子を思い浮かべますが、秋の茶園をよくよく見てみると、ぽつりぽつりと下を向いて咲く小さな白い花を見つけることができます。
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つぼみは毬のようにぽってりと丸いかたち。
花は透明感をたたえた白い可憐な花びらと、中央に黄色い「しべ」が冠のように広がっています。
お茶はツバキ科の植物ですので、花は白ツバキに似ていますが、随分と小ぶりで、葉裏に隠れるように控えめに咲きます。
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香りもとてもほのかなもので、鼻を近づけるとほんのり石鹸のような香りがします。
お茶の花にはサポニンという成分が含まれていて、サポニンは泡立つ性質を持っています。
だから石鹸のような香りがするのでしょうか?

姿も香りも控えめで、奥ゆかしい純白の花。
なんとも日本的な美しさを持つ花です。

しかし、この可愛らしいお茶の花、実は生産家にとっては少々厄介なものなのです。
秋から冬にかけては、来年良い葉をつけるために木が栄養分をしっかりと蓄える大切な時期です。
ですから、花に栄養分を取られては困るのです。
悪天候が続くと花がたくさん咲く傾向にありますが、花がたくさん咲いていると、その茶樹は弱っているということなのです。

花が咲くということは、もちろん実ができ、種もできます。
これがお茶の実です。
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この実がはじけて、中から3つほど種が出てきます。
この時期、茶畑を歩いていると、地面に茶色い種が落ちています。
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種の寿命は短く、時間が経てば経つほど芽が出にくくなりますが、孫右ヱ門の茶畑では、種を集めて植えることはなく、そのまま放置しておきます。

茶の花は自家受粉をせず、花に寄ってくる蜂や様々な虫によって自然交配して実をつけます。
そうして自然交配によってできた種は、親樹の性質を受け継ぐことはほとんどなく、他の茶樹の性質が入り混じった雑種となります。
そんな種から出てきた芽は、かなり個体差があり、品質もバラバラになってしまいます。

昔、茶樹の繁殖には種をまいていたそうですが、現在では、健康な親樹の小枝をカットして育苗する「挿し木」による繁殖が一般的です。
挿し木ですから、親樹のDNAをそのまま引き継いだ茶樹が育ちます。
すべてが親樹のクローンですので、品質が一定に保たれるのです。

先日行った「口切りの儀」では茶農家らしく、茶の花を床に飾りました。
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花器は陶芸家、瀬津純司さんの作品です。

なかなか目にすることのないお茶の花ですが、近くに茶畑がある方は、ぜひ足をとめて、可憐なお茶の花を探してみてくださいね。

歳時記vol.5 口切の茶事と壺荘り(つぼかざり)


2015年10月16日

「口切や南天の実の赤き頃」

南天
夏目漱石がこう詠んだように、木々の実が色づきはじめる11月頃、茶道では茶人の正月とも言われる「口切の茶事」を行います。

この頃、宇治茶師に預けておいた茶壺には、初夏に摘んだ新茶が詰められ、封をして、茶家の元に届けられます。

「口切の茶事」では、この茶壺の封を切って、当年初の濃茶を点てます。
11月は炉開きの時期でもあり、「口切の茶事」では、当年初の新茶を口にできる喜びを分かち合う祝意を持って執り行われることから、茶人の正月と言われているのです。

「口切の茶事」で主役となるのはこの茶壺。
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茶師は茶壺の中に、半袋(はんたい)という和紙の袋に入れた濃茶用の碾茶を収め、その周りに「詰め茶」と言われる薄茶用の碾茶を詰めます。
そして、蓋をした上、三重に和紙を貼って封印し、秋になると茶家の元へ届けます。
茶家は届けられた茶壺に「口覆(くちおおい)」と呼ばれる四方形の布をかぶせ、紅か紫の組紐で亀甲形に編んだ網かけの袋を被せて床の間へ荘ります。
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茶壺網かけ
口切りの茶事では、亭主が最初に網かけの袋を解き、茶壺の口を小刀で切って、中に詰められた濃茶を取り出します。
その後、亭主が再び封印をします。

一度口を切られた茶壺には、網ではなく、長緒、乳緒(ちお)と呼ばれる紐で紐荘りを施します。
茶まつり茶壺
紐の結び方は、表千家と裏千家では少々異なりますが、どちらも大変複雑なものです。
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この複雑な紐荘りは、茶壺を華やかに彩るだけでなく、毒が混入されたりしないよう、保管するための鍵の役割もあります。
茶壷中央、長緒の結びは、輪がいくつも重なって、複雑に見えますが、紐の端を引くと、絡まずにするすると解けるように結ばれています。
結びを知らない人が形だけ真似をして結んでも、次に紐を解くときに絡まってしまったら、誰かが手をつけたことが分かるというわけです。

また、この紐飾りは正面と左右それぞれ違った結び方で、茶道を知る方なら馴染みのある「真・行・草」の心を表しています。
写真は裏千家の壺荘りです。

正面:「真の紐型」両(もろ)なわ結び
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上座(向かって右側):「行の紐型」総角(あげまき)結び
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下座(向かって左側):「草の紐型」淡路結び
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茶道の世界では、この「真・行・草」という言葉がよく使われます。

「真・行・草」とは、もともと書道の真書(楷書)、それを少しくずした行書、さらに行書をくずした草書の三段階の筆法を示したものですが、日本人の美意識を表す表現として茶道をはじめ、絵画表現、折形、庭や建築のデザインなどにしばしば用いらます。

「真」は基本となる型で、最も格式高く整っている。
「草」は、「真」の対極に位置し、型破りなもの。
「行」はその中間で、基本を踏まえながら異なるものを取り入れている。

例えば、茶道の道具でいうと、高貴な人々や神仏に茶を奉る場合に使う唐物道具(中国伝来の道具)を「真」、そうした唐物道具をモデルとした国焼の陶器類などを「行」、そして「真」とは真逆で、土を感じさせる国焼の陶器や竹、木など自然の素材をそのままを生かした道具類が「草」ということになるそうです。

紐荘りひとつとっても、様々な意味がある茶道の世界。
大変奥が深いですね。
紅葉

さて、孫右ヱ門ではこの度、初夏に摘んだ自園の碾茶を茶壺に詰め、適正な温度管理のもと保管してまいりました。
丹精込めて育てた碾茶は、夏を越え、秋が深まるとともに、その味や香りを深めていっております。
そんな熟成されてまろやかになったお茶を味わっていただきたく、秋の深まる頃、孫右ヱ門オリジナル「口切りの儀」を催します。
六代目孫右ヱ門による茶壺の口切りをご覧いただき、裏千家師範 宗忠によるお点前と4人の陶芸作家による茶碗で濃茶を愉しんでいただきます。
石臼で碾茶を挽く「挽き茶」の体験も予定しております。
秋の良き日に、ぜひ京都城陽まで足をお運びください。
もみじ
【日 時】10/25(日)14:00~ または、11/1(日)14:00~(11/1は定員に達しました。)
※13:30近鉄富野荘駅改札口前集合 車にて会場まで送迎いたします。
※終了予定時刻は両日とも17:30を予定しております。

【場 所】株式会社 孫右ヱ門 京都府城陽市水主南垣内20-1

【参加費】3,500円

【参加方法】事前にメールまたはお電話にてお申し込みの上ご参加ください。
※お申し込みは開催日の5日前までにお願いします。
Mail:magouemonkyoto@gmail.com
TEL:0774-52-3232(平日9:00~18:00)

今回行う口切りの儀は、孫右ヱ門オリジナルのものであり、炉を用いず、正客をたてるものではございません。
茶道本来の口切りの茶事とは異なる部分がありますことを、予めご了承願います。
また、茶道が初めての方もご参加いただけるよう、懐紙など持ち物も必要ございません。
服装もご参加いただく皆様の自由とさせていただきます。

口切り… 六代目孫右ヱ門 太田 博文
お点前… 裏千家師範 宗忠 
お菓子… 溝井 茂
陶芸作家…
茶碗:清水 志郎 http://www.shimizuke.net/index.htm
瀬津 純司 http://junjisetsu.jugem.jp
前田 直紀 http://naokimaeda.strikingly.com
皿: 山本 順子 http://homepage2.nifty.com/potter-j/index.html

お問合せは、
株式会社 孫右ヱ門 京都府城陽市水主南垣内20-1
0774-52-3232(平日9:00~18:00)
magouemonkyoto@gmail.com

歳時記vol.4 城陽茶まつり


2015年9月30日

秋分の日も過ぎ、朝夕の冷たい空気に秋の訪れを感じる季節となりました。

初夏に摘んだ茶は、一定の温度と湿度に保たれた場所で夏を越え、秋が深まるとともに熟成されてその味を深めます。
長期保存・熟成することによって、お茶の味や香りに丸みが出て、まろやかでコクのある深い味わいが楽しめるのです。

お茶が美味しさを増すこの時期、孫右ヱ門が所在する城陽では、盛大な「城陽茶まつり」が行なわれます。

城陽茶まつりは、まず「口切の儀」からはじまります。
「口切の儀」は、伝統あるお茶の儀式のひとつで、初夏に摘んだ新茶を詰めた茶壺の口封を切って、茶葉を取り出し、茶臼で碾いて粉末にして、お点前を披露し、神殿に献茶を行うというものです。
茶祭り神饌

口切りは、待ち望んだ新物の茶との出会い、当年初のお茶をいただける喜びの瞬間でもありますので、「茶人の正月」とも言われ、特別なものなのです。

城陽茶まつりは今年で27回目ですが、茶生産家と茶業青年団の団員が毎年交代で「口切の儀」を執り行っています。

茶まつり口切り
茶祭りお点前

孫右ヱ門六代目も過去2回、この口切の儀で茶壺の封を切る大役をさせていただきました。
大勢の方が見守る中、封を切るのはとても緊張するものです。
茶壺の蓋は和紙で封をしてあるのですが、過去幾重にも和紙が貼られいたのか、堅くてなかなか刃が入らず、冷や汗をかいた経験もあります。

口切りの儀が終わると、茶壺は口緒(くちお)と呼ばれる朱色の絹紐できれいに結び飾られます。

茶まつり茶壺

城陽茶まつりでは、この厳かな口切りの儀を間近で見ることができます。

会場は、京都府城陽市富野にあります荒見神社。

茶祭り荒見神社

荒見神社は平安時代中期に編纂された「延喜式」の神名帳にも記載されている名社です。
木津川の洪水から守る水神で、われわれ茶農家にとって大切な神様が祀られています。
本殿は重要文化財で唐獅子や若葉の彫刻など桃山時代の特色がみられる美しい神社です。

口切りの儀の後、お点前の披露がなされ、その後境内では、茶席や茶そば、生菓子、城陽産のお茶の販売、お茶の美味しい淹れ方教室、邦楽演奏など楽しい催しが行われます。

茶まつり邦楽
茶そば

編集担当オススメは、城陽茶まつり限定「茶きんとん」です。
茶きんとん

城陽では、約30戸の農家が、年間約30トンの碾茶を生産しています。
弊社を含め様々な賞を受賞した農家も多く、城陽の碾茶は味・香り・色、全てにおいて優れていると言われています。
そんな城陽産の抹茶をふんだんに使って作られた「茶きんとん」は着色料など一切使わないのにとても鮮やかな色をしています。そして濃茶のような濃厚な味がします。
茶祭り茶まんじゅう

城陽茶まつり限定販売ですので、ぜひこの機会に足を運んでください。

<城陽茶まつり>
日時:  10月18日(日)
9:00~  口切りの儀
10:00~15:00 抹茶席、茶そば席(いずれも有料)、お茶のおいしい入れ方教室、各種茶の展示販売、
茶そば、茶うどん、茶を使用した生菓子、お菓子の販売
場所:  荒見神社(JR奈良線 長池駅徒歩10分)京都府城陽市富野荒見田165

歳時記vol.3 中秋の名月と月見の茶会


2015年9月16日

9月も半ばに入り、暑さが和らいで随分過ごしやすくなりましたね。
9月といえば、中秋の名月。
お月見の季節です。
フルムーン
旧暦の秋は7月、8月、9月ですから、中秋とは秋の真ん中、旧暦8月15日のことを指します。

現在の暦では、今年の中秋の名月は9月27日になります。
翌日の9月28日はスーパームーンで、今年一番地球へ接近する満月ですから、今年は例年よりも大きな中秋の名月が見られるようですよ。

日本では、「月を愛でる」風習は縄文時代ごろからあったといわれています。
日本神話や古事記に月夜見命(ツクヨミミコト)が登場しますように、太陽と並んで月は神聖なものと考えられてきたようです。
ススキ野原後に中国の仲秋節が伝わり、平安貴族の間で、月を愛でながら詩歌や管絃を楽しむ月見の宴が催されるようになりました。
平安貴族たちは、直接月を見ることをせず、池や杯に映る月を見て宴を愉しんだそうです。
水面の月なんとも優雅ですね。

茶道の世界では、「みたて」という月見の愉しみ方があります。
主人はお軸が持つストーリー、水差しや茶碗の形や色、道具の持つ意味、そういったものすべてを「お月さま」をテーマに合わせて設えます。
客人は実際に月が見えなくても、心の豊かさや五感で茶室に月を感じます。
それが「みたて」、日本人独特の美意識ですね。

さて、この季節、京都では平安時代より受け継がれた様々な観月の祭が現在も各所で行われています。
ここ京都山城地方でも、宇治の黄檗山萬福寺で「月見の煎茶会」が行なわれます。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA萬福寺は中国・明出身の高僧、隠元(いんげん)が建立した禅宗寺院です。
隠元和尚建物や仏像、儀式や精進料理に至るまですべてが中国風で、異国情緒溢れるお寺です。
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萬福寺は、煎茶に大変縁の深いお寺でもあります。
隠元禅師の渡来に伴い、当時中国文人の間に流行していた煎茶の風習が伝えられました。
そのことから、境内には「有声軒」という煎茶風茶席と庭園、全日本煎茶道連盟の本部があります。
煎茶道灯篭にも「煎茶道」の文字が見えますよ。

境内の「売茶堂」には煎茶道の祖、高遊外売茶翁(まいさおう)(1675−1763)が祀られています。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA売茶翁(まいさおう)は、上流階級の文化だった喫茶の風習を庶民にまで広め、その煎茶趣味を一つの世界を形成する煎茶道にまで導きました。
また、鴨川のほとりに日本初の喫茶店といわれる「通仙堂」という茶店を構え、時に自ら茶道具を担いで禅を説きながら、茶を煎じて各地に売り歩いたと言われています。

そんな煎茶の聖地、萬福寺で「月見の煎茶会」が行なわれます。

瑞芽庵流
黄檗売茶流
美風流
雲井流
小笠原流
方円流
二條流
一茶庵流
8つの流派がそれぞれ月見やお寺にちなんだお席を設えます。

萬福寺は蓮の花でも有名ですので、なんと蓮の花に煎茶を注いだお茶が出されたこともあるそうですよ。
ハス茶
「月見の煎茶会」は、お煎茶の作法を知らなくても誰でも気軽に参加できます。
異国情緒溢れるお寺での珍しい煎茶のお茶席に、足を運んでみるのはいかがでしょうか?

日 時 2015年10月3日(土) 14時30分~19時 雨天決行
会 場  黄檗山萬福寺
茶 券  3,500円 (入山料込・入席券3枚)
お申込や詳細については全日本煎茶道連盟のHPをご覧ください。http://www.senchado.com

実際に月を愛でるも良し、「みたて」を愉しむも良し。
秋の夜長、皆様はどのようなお月見を愉しまれるでしょうか?
今年の中秋の名月、素敵なお月見様が見られますように。

お茶に纏わるモノ・コト・道具vol.5 茶臼(茶磨)


2015年9月4日

今回は抹茶の製造には欠かせない茶臼(茶磨)のお話です。

茶臼の材質は硬くキメの細かい花崗岩が使用されています。
古くは、宇治朝日山の花崗岩が最良とされていたようです。

茶臼には手挽き臼と、機械で回す機械臼があります。
手回し挽き茶
画像は、弊社の蔵から出てきた手挽きの茶臼です。
随分劣化していて、持ち手が外れそうなので紐で括ってあるような状態です。
現在は、機械臼で碾茶を挽いています。
機械臼

茶臼は上臼、下臼ともに8つの区画に、各10〜15本程度の溝(目)が切られています。
この両面を合わせて上臼を左回り(反時計回り)に回転させると、上下臼の目が45度の角度で交差し、多数のハサミで切られるように茶葉が粉砕される仕組みになっています。
上臼下臼
粉砕中の茶葉は、中心から上臼回転方向に移動しながら外側に向かって広がっていきます。
碾茶を挽いた後の上下臼の面を見れば、内側から外側に向かって粉が移動していることがよく分かります。
上臼面抹茶
茶用の石臼が他の石臼と違うのは、周縁部約5mmの幅には溝(目)がないことです。
この溝を切っていない部分を「外周平滑面(がいしゅうへいかつめん)」といって、最後にここで抹茶独特の細かい粉状に粉砕されるのです。
外周平滑面

現在、日本茶業中央会は、抹茶の定義を「覆い下で栽培された生葉を揉まないで乾燥した碾茶を茶臼で挽いて微粉状に製造したもの」と定めています。

しかし、なぜ抹茶は茶臼で挽かなければならないのでしょうか?
碾茶を粉末状にするのなら、ミキサーやミルではダメなのでしょうか?

抹茶の粒子の大きさは、だいたい粒径10μ(ミクロン)前後です。(1μ=1/1000mm)
目安として、食塩が約400μ(ミクロン)、小麦が50~150μ(ミクロン)、片栗粉が20~70μ(ミクロン)なので、抹茶の粉がいかに細かいかお分かりいただけると思います。

人間の舌は、粉の粒径が30μ(ミクロン)以上になると「ざらつき」を感じるといいます。
抹茶の粒径は10μ(ミクロン)前後ですから、口に含んだ時、ざらつきを覚えることのない、まろやかさを感じることができるのです。
パウダー
ミキサーやミルなど高速回転させて茶葉を粉砕することもできますが、茶葉の回転方向を揃えることができないので、どうしても粒の大きさが揃いません。

粒の大きさにムラがあると、抹茶特有のなめらかな口当たりや、抹茶を点てた時のクリーミーな泡を出すことができないのです。
クリーミー1

また、ミキサーやミルはどうしても熱を帯びます。
ミキサーやミルのように、高速回転により急激に熱が加わると、抹茶の色や香り、風味が損なわれてしまいます。

茶臼でも摩擦熱は発生するのですが、石でゆっくり挽くため、粉砕時の温度が上昇しにくいという利点があります。

室温20度で、開始から1時間経過してようやく臼の外周部の温度は50度近くになります。
この緩やかな加熱が抹茶特有の芳香を生成します。

香りを比べてみると、挽く前の碾茶と、挽いた後の抹茶では香りが違うことに気づいていただけると思います。
挽き抹茶

近年、茶臼に代わって、粒子をより細かくすることのできる「ジェットミル」が使われるようになりました。

金属容器に碾茶を入れ、外側から空気による噴射圧を加えることで中の茶葉を激しく動かします。
そうすることで、茶葉どうしが衝突を繰り返し、数ミクロンレベルの微粒子にまで細かくなるという機械です。

この「ジェットミル」は、容器内を舞う茶葉の回転方向を一定にすることも可能で、粉末の形や粒の大きさを均一にできるという優れものです。

標準的な茶臼1基で碾ける抹茶は、1時間回転させて僅か40g前後なのに対し、ジェットミルは効率的に多量の抹茶を生産することができます。

ちなみに手挽きの茶臼で40gの抹茶を挽こうと思うと、優に5時間はかかるでしょう。
筋肉痛になること間違いなしですね。

ジェットミルで挽いた粒子の細かい抹茶を点てて飲んでみると、味はおいしいけれど、抹茶特有の膨よかな質感がなく、シャバシャバした感じがします。
抹茶を飲み慣れた方なら、物足りなさを感じるかもしれませんね。
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いかに文明が発展しようとも、未だ茶臼に勝るものはないのです。

孫右ヱ門では、秋の深まる頃、手挽きの茶臼による挽き茶体験をしていただけるようなイベントを企画中です。
Facebook等でお知らせしますので、ぜひご参加下さい。
孫右ヱ門Facebookページ:https://www.facebook.com/magouemon.kyoto

歴史vol.1 「宇治茶と太平洋戦争」


2015年8月20日

今回から「お茶にまつわる歴史」を新たにカテゴリに加え、お茶や孫右ヱ門のあれこれをご紹介していきます。

今回は、戦後70年にちなんで「宇治茶と太平洋戦争」についてお話します。

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昭和16年12月8日、日本は日英を相手に開戦の火ぶたを切りました。

戦時中、国内の食糧は徹底的に統制されていました。
米、砂糖、ガソリン、綿製品など重要日常物資はいち早く統制・配給制へ組み込まれました。

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お茶についてはどうだったかというと、それまで最大の輸出先であったアメリカやソ連が敵国となったため、輸出が頓挫し、それまで輸出向け緑茶の生産に力を入れてきた茶業は深刻な不況に陥いってしまいました。

そして、戦局が悪化するにつれ、物資不足、さらなる統制下のもとに、奢侈(しゃし)品(必需品以外のもの)の製造禁止令が発令されました。

そんな中「抹茶」の原料である碾茶も、不急作物としてリストに挙げられ、燃料の配給停止とともに、製茶を禁止されました。

茶畑は、食糧生産用に転作を迫られ、イモ類や穀物畑に姿を変えていきました。
一度イモを植えた畑では、再び上質の茶を作ることはできません。

こうして茶園の荒廃が進み、京都の茶生産は壊滅状態に陥っていきました。

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当時の茶業組合は、なんとかこの危機を乗り越えようと立ち上がりました。

抹茶のカフェインが持つ穏やかな覚醒効果に着目し、なんとか軍用に採り上げてもらえないかと、陸軍航空技術研究所、川島四郎少佐に訴えたのです。

少佐はすぐに抹茶の効能を調査するよう命じ、抹茶は覚醒作用やビタミンCの補給として活用できるという点で評価され、「航空元気食」「防眠菓子」として、糧秣廠(りょうまつしょう)(軍の食糧庫)へ納められることになりました。

軍用として採り上げられた抹茶は、不急作物から外され、京都の茶業はなんとか命をつなぐことができたのです。

そして京都府立茶業研究所が「糖衣抹茶特殊糧食」(固形の抹茶に糖分を含む被膜を施したもの)を開発し、航空機や潜水艦に乗り込む兵士の疲労回復と眠気覚ましとして、広く重用されました。
また一般向けにもビタミン補給に役立つとして、「固形抹茶」なるものが作られ、売られました。

今では、抹茶はチョコレートや様々なスイーツなどに使用され、「抹茶を食べること」が当たり前となりました。

普段何気なく口にしている抹茶のお菓子ですが、同じ「抹茶」を噛みながら、国のために身を捧げて、無残にも亡くなっていった多くの方を思うと、胸が痛み、大変複雑な気持ちになります。

 

今回コラム執筆にあたり、様々な資料から先人たちの労苦を知りました。
戦後70年経った今、こうして平和に茶をつくり続けられることを改めて幸せだと思います。

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世界を見れば、奪い合いや争いは絶えません。
戦争はもちろん、利益のために市場で競うのも、新しい技術を競うことも争いです。

戦後70年、平和を続けてきた日本も方向転換しようとしています。

武には武の仕返しがあり、そうなれば悲劇のスパイラルを逃れることはできません。
武を抑えるのは文化、相手を思いやるおもてなしの心です。

誰かにお茶を点てるとき、心を込めますよね。
相手に喜んでもらうために、一生懸命に点てる、そのために様々な工夫もします。
喜んでもらいたいという心があれば、それがおいしさとなり、自分自身の喜びにもつながります。
茶には、そのおもてなしの心、文化があります。

自身の利益だけを求めるのではなく、飲んだ人すべてが幸せになれるような、そんなおいしいお茶を作り続けていきたい。
戦後70年の夏、孫右ヱ門は決意を新たにしました。

 

資料協力:山城茶業組合

ひとびとvol.4 内田喜基さん


2015年8月4日

コラム孫右ヱ門、今回は孫右ヱ門に関わる人々です。
編集担当が孫右ヱ門と関わりのある様々な人々を訪れ、大いに語ってもらいます。

今回は、孫右ヱ門の顔とも言えるロゴデザインと商品パッケージをデザインしてくださったアートディレクターの内田喜基(うちだ・よしき)さんです。

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Q1.孫右ヱ門との出会いを教えてください。

京都の伝統木版画工房、竹笹堂さんと一緒にポスターを作るお仕事をさせていただいているのですが、その竹笹堂代表の竹中健司さんの呼びかけで、1/f(YURAGI WORKS)という京都を中心に日本文化を発信する職人やデザイナーなどの集まりがありまして、その飲み会の席で初めてお会いしました。

その時は、まだ仕事につながるような話は全くしなかったんですが、その後、同じ1/fメンバーで、孫右ヱ門さんとも関わりがあり、パッケージのお仕事をさせていただいていた”あめ細工 吉原さん”が、僕の話を太田さんにしたところ、僕の仕事に興味を持ってくださったようです。

ちょうど商品のパッケージデザインをどうにかしたいと思っているタイミングだったようで、後日ご連絡をいただき、実際に東京でお会いすることになりました。

東京での食事の席で、太田さんから伝統的な製法の抹茶を何とか残していきたい、そのためにもっとほんずの抹茶を広めていきたいという熱い思いを聞かせていただいて、僕も共感し、意気投合。

孫右ヱ門さんのデザインを手がけることになりました。

 
Q2.孫右ヱ門のロゴデザインやパッケージへの思いをお聞かせください。

デザインに取り掛かる前に、孫右ヱ門さんの茶園を何度か訪れました。

一番良い土壌に、こだわり抜いた有機肥料を与え、次の年の品質のために新芽の一番茶だけ手摘みする。
そんな手間暇を惜しまない、ていねいな仕事に驚きました。

それでいて、製茶の工程は無駄を削ぎ落としたシンプルなもの。
そして、出来上がった抹茶はほのかに甘く高貴な香りがする。

僕はそこに歴史の重みと凛とした品格を感じました。

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これまでの歴史を重んじつつ、今後進むべき未来を視野に入れたデザイン、それが太田さんの依頼でした。

昔ながらの伝統的製法を守って、美味しいものをちゃんと残していきたいという太田さんの気持ちをリスペクトして、やはりそういうモノトナリのデザイン、ブランディングをしたいと思いました。

僕は孫右ヱ門の顔である「ロゴ」には、代々受け継がれてきた『文』の字は残さないといけないと思いました。
デザインは新しくなっても、代々守ってきたものは大切にしたいと思ったんです。
メイドインジャパンを体現する家紋としての意味合いもあります。

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パッケージは格調高く、それでいて主張しすぎない存在感を白で表現しました。
わかりやすくするために「京抹茶」という文字を加え、大切な『文』の字と孫右ヱ門という書を一緒にして組み合わせました。

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もう一つ、これは依頼になかったものなんですけど、フレーバーティーを商品化することを提案しました。

孫右ヱ門さんをこれからの売り出すにあたり、高級なラインだけでなく、低価格で、おみやげや贈り物として手にとってもらいやすい商品、つまり孫右ヱ門というブランドを知ってもらう広告塔のような立ち位置の商品が必要だと考えたからです。

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他のラインとは差別化し、女性が心惹かれるようなデザインにしました。
一枚の紙を折って、着物を着ているようなイメージのデザインです。

一過性で仕事をする訳ではなく、パッケージから派生してはいるんですけど、全体的な孫右ヱ門の見え方というか、ブランディングを長い目で一緒にやっていきたいと思っています。

 
Q3.内田さんから見た六代目孫右ヱ門、太田博文はどんな人ですか?

お仕事を通しての印象は、お茶に関してとにかく熱いスペシャリスト。

昨年、海外で日本文化を発信する活動の一環として、ニースとモナコ、チェコ3カ国の旅を共にしたんですけど、途中、本当に色々なアクシデントがありまして、太田さんの天然具合を目の当たりにしました(笑)

やはり寝食、苦楽をともにすると、お互いに人間として隠しきれない部分が出るので、お仕事だけではない、人間としての絆と信頼が深まったように思います。

旅を終えての印象は、公私ともにとてもまっすぐな人ですかね。

人間味あふれる人の方が一緒に仕事もやりやすいので、これからも太田さんとは深くやっていきたいです。

 

Q4.今後の孫右ヱ門に期待することは何ですか?

昔ながらの製法を守って、美味しいものをつくり続けるという太田さんの熱い思いをとてもリスペクトしているので、これからも続けていって欲しいと思います。

また、出汁として碾茶を使うなど、海外でも新たな見せ方でお茶を発信していきたいという夢を持っていらっしゃるので、僕も僕なりのデザインやブランディングというパートで、一緒に考え、行動して、力になっていきたいと思っています。

ずっと「続ける」ことで気付くことが多々あるので、これからも伝統を守りつつ、海外への発信も続けていって欲しいです。

 

Q5.内田さんの今後の野望を教えてください。

6月に「COIL」というプロダクトデザインブランドを静和マテリアルと一緒に立ち上げました。
「COIL」は、今まで出会った人や、これから出会う人をどんどん巻き込んでいくという意味でつけました。

今までグラフィックやパッケージデザイン分野だけだったのですが、もっと分野を広げて、例えばバッグや、陶器、文具といったプロダクトを作っていくべく、今動いています。

今自分の周りに繋がっている職人さんたちや色んな分野の方と、様々なプロダクトを作っていきたいです。

僕がデザインした陶器で孫右ヱ門さんのお茶を飲む、とかね。
その夢のはじまりを始めたばかりです。

あと、ライフワークでKANAMONO ARTという活動をしていて、以前太田さんと行ったモナコでも展示を行ったんですけど、今年も錫(すず)の職人さんと個展をすることになっています。

年に1、2回はKANAMONO ARTのイベントなり個展をライフワークとしてやっていきたいなと思っています。

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COIL(http://www.coil-products.com)
内田さんの夢のはじまりであるCOILは、内田さんと既に繋がりのある人、これから繋がっていく人をどんどん巻き込み、新しい視点を創る、そんなプロダクトデザインブランドです。

KANAMONO ART(http://kanamono-art.com)
内田さんのライフワーク。
カナモノ(クギ、ドライバー、ネジ、ペンチなど)無機質な金属48種類を組み合わせ、有機的な生き物を創るKanamono Artのサイトです。

 

内田喜基さんProfile:
博報堂クリエイティブ・ヴォックスに3年間フリーとして在籍後、 2004年cosmos設立。
広告クリエイティブやパッケージデザインにとどまらず、 商品デザインやアート本「Kanamono Art Ⅰ・Ⅱ」(誠文堂新光社)の出版や、 インスタレーション・個展を開催。
2015年プロダクトデザインブランド「COIL」を 静和マテリアルと一緒に設立。その活動は多岐にわたっている。
主な受賞歴 D&AD 銀賞 / 銅賞、Pentawards 銀賞、OneShowDesign 銅賞、 reddot award、NYADC Merit賞など。

歳時記vol.2 「祇園さまのお献茶」と「祇園の御神水」


2015年7月15日

7月に入り、京都市中は祇園祭一色となっています。

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7月14日〜16日は、宵山(前祭)です。
宵山には、各山鉾町で山鉾を飾り、旧家や老舗では、代々伝わる屏風や道具が美しく飾られます。

市中は雑踏し、コンチキチンの祇園囃子の音色とともに祇園祭の情緒が盛り上がります。
明日16日は、いよいよ明後日に迫る山鉾巡行に向けて、祭りの熱気がピークに達します。

そんな16日宵山の朝、八坂神社では午前9時から本殿で「献茶祭」が行なわれます。

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「祇園さまのお献茶」とも呼ばれるこの献茶祭は、祇園祭の安全と茶道の発展を祈るため、昭和21年に始まりました。
以来、表千家、裏千家お家元が、毎年交互にご奉仕される恒例行事となっています。
今年は、裏千家家元 千 宗室宗匠のご奉仕です。
お家元、祇園祭の関係者、来賓が本殿に着座すると献茶祭が始まります。
献炭ののち、16日の早朝に境内の井戸から汲んだ「祇園の御神水」でお家元が濃茶、薄茶を点てられ神前に供えます。
お点前が終わると、能舞台で長刀鉾町衆による祇園囃子が奏でられます。

 

さて、この「祇園の御神水」(「八坂の神水」とも「力水」とも呼ばれている)ですが、八坂神社の境内にこのような湧水があることをご存知でしたか?

本殿正面に能舞台があり、その東側、大神宮の前の小さな苔生した手水処が「祇園の御神水」です。

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京の都は、北は玄武、南は朱雀、西は白虎、東は青龍に護られた地です。
八坂神社の本殿下には龍穴と呼ばれる深い池があり、都の東を守る「青龍」が住んでいると伝えられています。
青龍の住む龍穴から湧く霊水として、地元では「祇園の御神水」のことを「力水」とも呼んでいるそうです。

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「飲用水ではありません」と但し書きがありましたが、ペットボトルで御神水を汲みに来た方に伺ってみると、

「地元ですから、祇園さんの水は昔からよう飲んでます。」とのこと。

それを聞いて、編集担当も早速いただいてみました。
地下約90mから湧き出ているそうで、さすがに冷たい!
とても蒸し暑い日でしたので、冷たくてまろやかな御神水は、まさに力水だと感じました。
このお水をいただいてから、お隣の美御前社を詣でると美人になるといわれているそうです。
もちろん、お参りしましたよ。言い伝えが本当なら嬉しいのですが…。
明日の献茶祭は、茶道や祭事関係者、招待客の方しか参列できないそうなので、せめて祇園の御神水でお茶を点ててみようと、ペットボトルに入れて持ち帰り、抹茶を点ててみました。
(本殿には上がれませんが、境内のモニターで献茶祭の様子をご覧になることはできます。)

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パワー溢れる御神水で点てた抹茶は格別で、ありがたい気持ちになりました。
(御神水は生水ですので、ご心配な方は一度煮沸してから飲むことをお勧めします。)

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明日16日の献茶祭では、八坂神社境内のほか周辺9カ所で特別なお茶席が設けられます。
祇園の中で最も格式高いお茶屋さん「一力亭」や、「中村楼」「美濃幸」といった老舗の料亭がそれぞれ趣向を凝らしたお茶席、喫客をもてなします。
「一力亭」では、なんと舞妓さんがお運びをしてくださるそうです。
滅多に足を踏み入れることのできない「一力亭」ですので、大変貴重な機会ですね。
一度は体験してみたいです。

 

これらのお茶席券は、茶道の先生や関係者からしか入手することができませんが、菊水鉾のお茶会など、一般の方も参加できるカジュアルなお茶席もあります。
山鉾だけでなく、献茶祭や祇園祭ならではの趣向を凝らしたお茶会など、祇園祭の違った楽しみ方はいかがでしょうか?

お茶に纏わるモノ・コト・道具vol.4  「茶櫃(ちゃびつ)」「缶櫃(かんびつ)」


2015年7月3日

茶に纏わる道具の話が続きますが、今回は荒茶を保存するための茶櫃(ちゃびつ)についてお話します。
私たち茶業者は、茶櫃(ちゃびつ)と言わず、缶櫃(かんびつ)と呼びます。

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缶櫃の誕生は、今の「お茶屋さん」の原点である、宇治茶師たちの衰退に大いに関わりがあります。

江戸時代、宇治の茶師は、茶の興隆に合わせて、将軍家や大名、公家や社寺と強く結びつき、町人身分でありながら苗字帯刀を許されていました。
また、宇治茶師は幕府の御用茶師として、良茶を製する覆下栽培を特別に許されるなど、数百年にわたり手厚い庇護を受けていました。
この時代、宇治茶師が生産した茶は、すべてが碾茶でした。

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しかし幕末には、海外との貿易が始まり、宇治茶生産は不安定な状態に陥っていきました。
宇治の碾茶は良質ではありますが、コストが高く、輸出品には向きませんでした。

そして、1867年の大政奉還により幕藩体制が崩壊し、宇治の茶師は庇護者を失い販路を断たれます。
特権を失い、宇治以外の地でも大量に茶を生産するようになると、茶師は茶園を次々に手放し、宇治の茶業全体に危機が訪れました。

この時、長年茶師の権勢に圧迫されていた、茶師以外の茶製造者が玉露製法を完成させ、国内販路の開拓に努めました。
それがあのペットボトル茶で有名な「辻利」の創業者、辻利右衛門です。
辻利の創業は1860年(萬延元年)、大老井伊直弼が暗殺された桜田門外の変が起きた年です。

現在宇治茶存亡の危機を救った人物として、平等院門前に銅像が建てられています。

少しわかりにくいですが、宇治平等院を訪れた際には、門前右手をご覧ください。

20150702-IMG_5736この辻利右衛門、非常にアイデアマンだったそうで、玉露製法だけでなく、国内販路の開拓として、茶櫃(缶櫃)を考案しました。

それまでは、茶の保存や運搬には、写真のような茶壺を使用していましたが、防湿効果や積み上げることのできる長方形の形が運搬に便利であるということから、流通には利右衛門の缶櫃が主流となり、宇治茶は日本全国に再び広がっていきました。

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孫右ヱ門でも、製茶を終えた碾茶の荒茶を缶櫃に保存します。
缶櫃は、木箱で、箱の内側は隙間のないブリキ張りになっています。
木製の蓋も同じように、内側はブリキ張りになっています。

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缶櫃は、非常に密閉性が高いため、外気の温度、湿度の影響を受けにくく、お茶の劣化を防いでくれます。

孫右ヱ門では、近年まで、荒茶を入れて缶櫃のまま問屋さんに卸していました。
しかし缶櫃は、それ自体結構な重量がありますので、現在では、軽量で扱いやすい茶袋に主役を譲りました。

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現在孫右ヱ門にある缶櫃は、碾茶工場を竣工した昭和40年にたくさん仕入れたものですが、約50年経った今も、まだまだ現役で茶の品質を保ってくれています。

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ここ山城地方では、残念なことに、現在全ての缶櫃製造者さんが廃業されたと聞いています。
静岡でも缶櫃を製造されているのは、たったの6軒だとか。

缶櫃は防湿、防虫、断熱効果がありますので、お米や乾物、そして大切な衣類や写真、お雛様などの収納にも適しています。
古い缶櫃が、カフェのテーブルとして使われているのも目にしたことがあります。
木でできた缶櫃は見た目にもお洒落で、インテリアとしても使えそうですね。

時代の変化と共になくなるのは仕方がありませんが、宇治茶の危機を救った缶櫃が、新たな形で現代の生活に使われたら嬉しいと思う編集担当なのでした。